ニッケイ新聞 2008年11月22日付け
広島市で〇五年、木下あいりちゃん(当時七歳)が在日ペルー人に殺害された事件から、二十二日で丸三年を迎えた。小学校であった追悼集会では、あいりちゃんが好きだったというひまわりの絵が飾られた。同小の一年生が遺族から種を譲り受け、「しあわせのひまわり」と名付け、今夏に多くの大輪を開かせたものを描いたようだ。
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先月無事に記念式典を終えた熊本県人会。全伯の支部数は三十三。移民大県ならではといえるが、一方で会員の数はサンパウロ市の県人会で百家族ほどと、国内三千家族の沖縄と比べ元気がない。会員獲得はどの県人会でも課題の一つ。熊本では週に一度、二、三世の有志が集まって食事会を開いているという。こちらはポルトガル語だけで、子供連れで食事やビンゴ、カラオケなどを楽しんでいるそうだ。「他県でも遠慮なく来てほしい」と小山田会長。
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定森さんがNGO活動をする〃陸の孤島〃マニコレだが、日本移民にもこのような場所に送り込まれた人々がいた。ロライマ州の「グヮポレ移民」もその一つ。マニコレからさらにマデイラ川を上流にさかのぼったポルト・ベーリョから、さらに十五キロ離れた正真正銘の遠隔地だ。ほぼ赤道直下での過酷な労働。風土病マラリアにも襲われ、多くが耕地を去って行った。栄養失調に悩む移住者の姿から、「幽霊植民地」とさえ言われたところとして有名だ。生まれ育った人には故郷なのだろうが、日本から移り住むのは尋常ではないようだ。