ニッケイ新聞 2008年11月12日付け
サントスではじめてとなる日本文化祭が九日、同市のサントス日本人会館で開催された。戦中の接収から、二〇〇六年の返還、そして今年六月の改修落成式と、日系社会の戦後と移民百周年を象徴する建物となった同会館。ついに迎えたこの日、会場はのべ五百人の来場者でにぎわい、笑顔があふれた。六十余年の空白を埋めるように着実に歩みを進める同日本人会。今月十五日から、念願の日本語教室を始める。
開催にあたっては在サンパウロ日本国総領事館が共催し、校舎二階の部屋には同館が所有する日本の城・寺院の模型や浮世絵版画などが展示された。その他、一階では昔の写真・資料展示や、折り紙のコーナーなども設けられた。
午前十一時過ぎから会館中庭の舞台で開会式が行なわれ、アントニオ・カルロス・シルバ・ゴンサルベス副市長(市長代理)、武田幸子副領事ほか、重田エルゾ文協副会長、加藤恵久県連副会長らが来賓として訪れた。
土井紀文理事の開会宣言、先亡者への黙祷に続き遠藤浩会長は、戦後の日本人会設立から返還にいたる歴史を振り返り、「多くの人たちの長年の願いが叶い、今日我々はやっと自由に使えるようになった。今日は食事を食べ、ショーを見ながら一日皆さんと楽しく過ごしたい」と喜びを噛みしめるように話した。
会長はさらに、今月十五日に教師・生徒と父兄を交えて最初の日語校の集まりを開くことを発表、参加を呼びかけた。
副市長も百周年の年に同祭が開催されることに祝意を表し、武田副領事は「日本人会が中心となってサントスに日本文化が広まり、次の百年に向けて日伯交流がより強まることを願います」と述べた。
その後来賓一同で会館前に黄イペーの苗二本を記念植樹し、文化祭へ。
舞台では地元サントスの踊りの会、沖縄県人会婦人会・子供会による踊りや、サンビセンテ「響和太鼓」の演奏、カラオケなどを披露。また総領事館の協力によりカンピーナスのYOSAKOIソーラングループも出演した。
日本人会だけでなく、サントス、サンビセンテなど地域の日系団体が協力して実現した日本文化祭。「教育や文化は結果が出るのに時間がかかります。これだけのものを返還してもらったからには、来年以降もぜひ続けていきたい」と遠藤会長は意気込みを語る。
サンビセンテの文協会長を務めた青木実さん(81、現サントス厚生ホーム経営委員長)も「若者も入り、バイシャーダ・サンチスタが一緒になって頑張って、サントスならではの祭りを作っていけたら」と期待を表した。
食事コーナーではシュラスコのほか、うどんや焼きそば、弁当などを販売。焼きそばは事前に四百食が売れたという。初夏の日差しが照りつける中、来場者は食事を囲み、舞台の熱演・熱唱に大きな拍手を送っていた。
マウア市在住の小島康一さん(74)は、知り合いがいる関係で訪れたという。「皆がんばっている。これから色々やって、どんどん良くなるでしょう」と話す。
九〇年に市の訪日団の一員として日本を訪れ、現在市内の二大学で日本語を教えるジョゼ・アデルソン・デ・ソウザさんは「日本の文化から学ぶことはたくさんある。これからも大きなイベントに育ってほしい」と同祭の発展に期待を込めた。
サントスで生まれ育ち、今も同地に暮らす橋本・仲・アリッセさん(76)。アリッセさんの記憶にある限り、同地で日本文化祭が開かれるのは初めてのことだという。「とても喜ばしいこと。これからは日本語教室もできるし、良くなっていくでしょう」と目を細めた。