ニッケイ新聞 2008年11月12日付け
毎年ブラジルのお盆にあたる十一月二日、「死者の日」(フィナードス)に開催されるレジストロの「灯篭流し」。五十四回目を迎えた今年、二日間の開催で過去最高の二万二千人が訪れた。水難犠牲者の冥福を祈るとともに、日本文化を紹介、フィナーレを飾る花火は、水郷の里の風物詩だ。未来に残したいーとの思いから、移民百周年を記念し、主催団体であるレジストロ日伯文化協会(清水ルーベンス会長)は、国立遺跡美術遺産院(IPHAN)に今年十月、文化財登録への申請を行った。その調査経過で、レジストロの北に二十キロにある街セッテ・バーラスが灯篭流しの〃発祥の地〃であることが分かった。【堀江剛史記者】
本紙の前身である日伯毎日新聞創刊年である一九四九年十一月六日付けの新聞に『残された謎の遺書』との三段見出しを打ち、セッテ・バーラスで身元不明の日本人自殺者があったことを報じる記事が掲載された。
―去る十月二十日ごろ南聖セッテ・バラスのリベイラ河川岸の佐々井旅館にいずくからともなく来て投宿していた一邦人老人があったが、同月二十八日朝、旅館の主人が老人が遺書をのこし、前のリベイラ河に投身自殺したことを発見した、死体が上がらぬだけに、果たして自殺したものか、どうかと多少の疑問はあったが、それから三日後の三十日朝、同地名産のマンジューバ漁りの網にかかって死体が発見された。老人の身柄は佐々井旅館主に引取られ、セッテ・バラス日本人有志の手で同地墓地に懇ろに葬られたが心當りの人は佐々井旅館に照会されたいー(本文ママ)
老人の名前は今西ケイタロウ、八十一歳。アラサツーバからジュキアを経由し、佐々井石蔵氏が経営する「佐々井ペンソン」に宿泊していた。
「ここに座っていつも川を眺めていたね」―。
佐々井家の住居でもあったペンソンのすぐ前にある川岸で、そう九歳の頃の記憶を探るのは、セッテ・バーラスで理髪店を営む佐々井信義さん(67、二世)。
「無口な人だった。お父さんとは何かを話していたようだけど、内容は知らない。一週間ほど泊まったんじゃないかな」
記事にもあるように、日本語で書かれた遺書があったようだが、佐々井さんによれば、遺体発見後、石蔵さんが警察署に関係書類として提出したという。
今西老人は、リベイラ河の川面をどのような気持ちで眺めていたのだろうかー。自殺の動機は、ほぼ六十年が経った今、闇に包まれたままだ。(つづく)
写真=50年に最初の灯篭を流した佐々井信義さん。今西老人が身を投げたリベイラ河畔で。今月3日撮影</FONT>