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学移連50周年=海外雄飛の夢、覚めず=サンパウロ市=約100人が語り合う=南米、日本、米国から

ニッケイ新聞 2008年11月7日付け

 「学移連のスピリット残せ」――。日本学生海外移住連盟(学移連)の創立五十周年を祝う祝賀会が五日夜、サンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパラセホテルで開かれた。ブラジル学移連OB会(日比野亘会長)主催。ブラジル内はもとより、日本、アルゼンチン、エクアドル、米国などからOBを中心に約百人が集まり、海外雄飛の夢に青春を燃やした学生時代を懐かしみ、果てぬ思い出話に杯を重ねた。
 学移連創立は一九五五年。ブラジルで学移連の周年行事が開かれるのは、三十周年以来となる。映画『北辰斜にさすところ』の製作に関わった高原要次さん(55、鹿大)の「日本の学生の古き良き志をブラジルでー」というブラジル上映の思いが今回の開催に繋がった。
 高原さんは、「移住できなかった思いがある。せめてもの恩返しという気持ちだった」と話しながら、「六十以上の大学が加盟していた学移連創立の半世紀を仲間と一緒に祝えたのが嬉しい」と満面の笑みを見せた。
 日本から訪問団(三十八人)の団長を務める吉永正義さん(68、拓大)はあいさつで、開催に携わった関係者に感謝の言葉を述べ、「日本に残った人、ブラジルに渡った人も『世界は一つ』という気持ちでこれからやっていきたい」と一致団結を呼びかけた。
 母校の北九州大学から、ラテンアメリカ研究会の五人の学生を引率した安藤明さん(62)が日ブラジル会議員連盟会長でもある麻生太郎総理大臣の祝辞を代読した。
 学移連創立に関わったエクアドル在住の井上順八さん(70、拓殖大)が乾杯の音頭を取り、参加者らは元気に杯を突き上げ、歓談へと移った。
 「年をとれば取るほど、若い頃の情熱が蘇ってくるね」。半数以上は顔見知りという会場を見渡すのは、宮本修さん(65、鹿大)。
 六四年から一年間、南麻州やサンパウロ州アンドラジーナ近郊で実習、今回七回目の来伯。山口県山口市経営する食品工場では、多くのブラジル人労働者を雇用している。
 第十期の委員長だった武藤嵩さん(70、早稲田大)は、六六年にアルゼンチンに。その後、パラグアイに再移住、現在は、首都アスンシオンで自動車部品を扱う会社を経営する。
 「海外移住の基礎を作ったのは一世だが、これからは二、三世の新しい交流が生まれれば」と話し、次の周年行事開催を期待する。
 途中、出身大学別に名前が呼ばれると拍手が送られた。余興では、拓大出身者らが、移住する仲間を港で見送るときなどにも披露した名物「勝ちます踊り」が会場を沸かせ、バンカラな校風を象徴する「押忍三唱」で締めくくった。
 サンバショーでは、来場者がダンサーらとサンバのステップを踏み、会場のあちらこちらで笑顔が弾けていた。
 最後は「学生移住連盟歌」を全員で合唱し、閉会した。
 「初めての海外旅行」という北九州大学一年生でラテンアメリカ研究会に所属する山崎涼子さん(19)は、「今の学生にはない団結力。羨ましい気がする」と感慨深げに話していた。