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コチア青年最後の還暦祝う=サンパウロ市=6年後にはいよいよ米寿=歓声、かけ声で賑やかに=「白寿まで祝う!」

ニッケイ新聞 2008年10月24日付け

 戦後、若手移民の代表格だったコチア青年も、いよいよ最後の還暦者を祝う時代になってきた。コチア青年連絡協議会が主催する還暦・古希・喜寿祝賀会が十九日、サンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会館で行われ、最年少の広瀬哲洋さんが還暦を祝った。百二人も集まり、会場からは終始、歓声やかけ声、エールやらが送られ、ステージ上の仲間と一体になった賑やかな祝宴となった。

 最初に黙祷が捧げられ、山下治会長は「還暦祝いはこれでお終いですが、皆さん長生きされて米寿祝いを一緒に」とあいさつした。該当者に記念品が、同夫人にも花鉢が贈呈された。
 来賓の在聖総領事館の田畑篤史副領事は「生涯現役の気概で日伯交流の振興に尽くしてほしい」とのべた。文協代表の諸川有朋理事も「仲間同士、連帯の雰囲気がとてもいい。米寿と言わず白寿まで!」と檄を飛ばし、会場から賛同の声があがった。
 援協代表の尾西貞夫副会長に続き、県連代表の加藤恵久副会長は「コチアが潰れたのは本当に惜しかった。コチア青年には大きな役割が残された」と語った。
 続いて、各カテゴリーの該当者代表が謝辞をのべた。喜寿の吉田茂さんが到着した時、コチア産組の山中弘移住課長から「おまえは遠いぞ」と言われた。大半の配耕地はサンパウロ市近郊だったが、「アルバレス・マッシャードへ行かされた。本当に遠かった」と思い出す。「でも同期十人のうち生き残っているのは、なぜか同地へ三人行ったうちの二人、私と松本だけ。今では行って運が良かったと思っている」と語ると拍手が沸きあがった。
 古希を代表して鎌谷昭さんは、兵庫出身で関西訛りのポ語をしゃべるとブラジル人から「何言ってるの?」と問い直されると会場を笑わせ、「みんなが顔を合わせるこんな機会が年に六回ぐらいあれば」と顕彰に感謝した。
 JATAK(全国拓植農協共同組合連合会)所長で、最後の還暦となった広瀬さんは「私が喜寿になったら誰が祝ってくれるんだろう」と語ると会場は爆笑の渦に包まれ、「それまでに若い世代を何とかしなきゃ、責任感じる。みなさん長生きして見守ってください」とまとめた。
 広瀬さんは第二次三十四回の渡航で、六六年十月に着伯。次の三十五回が最後の船で、その後は「新コチア青年」が七九年、八一年の二回、航空機で来伯しているがまったく消息不明で〃幻のコチア青年〃だという。
 高橋一水元会長の音頭で乾杯し、やはりコチア青年が経営する奄美の仕出しに舌鼓を打った。桜井金夫元会長が作詞作曲した『翔けブラジルコーヒー』を石脇忠雄さんが熱唱、順繰りにマイクを持って各人が自慢ののどを披露した。
 現コチア青年の平均年齢は七十三歳弱。今回最後となった還暦は第十八回で一人、古希は第九回で八十四人、喜寿は第三回で二十六人だった。
 〇三年の合同祝賀会の時、初めて古希が還暦を超えた。〇二年の還暦は三十六人もいたが〇三年には十四人と激減、逆に古稀が五十五人と大幅に増えた。三年前に喜寿祝いが加わった。現最高齢が八十二歳なので、六年後にはいよいよ米寿祝いが始まる。