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イタペチ入植60周年祝う=モジ=調和と団結で地域発展=花卉栽培から観光農村へ=「井戸の水を飲む時は掘った人の苦労を思え」

ニッケイ新聞 2008年10月16日付け

 イタペチ山脈のふもとに小森園吉之助一族ら六家族が最初に入植して始まった、サンパウロ市近郊モジ市のイタペチ植民地が六十周年を迎え、十一日に同会館で約三百人が集まって記念式典を行って節目を祝った。電化、電話開通、道路舗装など会員が力を結集して訴え、花卉栽培などで共に手を組んで地域発展に尽くしてきた六十年間を振り返った。
 午前九時過ぎから先亡者百二十四人の追悼法要がしめやかに執り行われた。追悼の辞を述べた万寿会(老人会)の坂本定慈会長は、「井戸の水を飲む時は掘った人の苦労を思え」という金言を紹介し、「今、安穏な生活ができるのは先人のおかげ。その精神が風化しつつある。心新たに先駆者の苦労を偲び、感謝を捧げたい」との言葉で締めた。
 檀定則・万寿会副会長の司会進行により、読経が響く中、参列者全員が焼香し、手を合わせた。導師を務めたモジ西本願寺の清水円了主管は法話の中で、「子息安住の地を建設せんとの熱い想いで流された、尊い血と汗と涙は燦然と輝いている」とのべた。
 記念式典では、日伯両国歌を斉唱した後、イタペチ農事文化協会の宮本ジョージ会長は電気、電話、アスファルト化などのインフラ整備、地権問題、砂取り場やゴミ処理場建設への反対運動などみんなで力を合わせてやってきた歴史を振り返り、「イタペチも還暦を迎えた。生まれ変わった気持ちで知恵を出し合っていきたい」とのべた。
 青年部の小森園エリキ部長は「先人が培った文化精神を受け継ぎ、新たにしていくことを誓います」とあいさつ。続いて先駆入植者として小森園政春さんに、地域功労者として宮本光金さん、加藤吉彦さんに賞状等が送られた。
 壇はるさん(95)、力石うめのさん(93)など七十六歳以上の会員二十三人に高齢者表彰と金一封がプレゼントされた。表彰者を代表して石川英男さんは感謝し、「イタペチが八十周年、百周年まで続くことを望みます」との期待を語った。
 安部順二モジ市長は四十万市民を代表して同協会に地区発展に尽くした感謝状を贈った。今度は宮本会長が、モジ農業シンジカット代表、州議、市長として長年、地区に協力してきた安部氏を「真実の守護者であった」と顕彰し、記念品などを贈った。
 JICAサンパウロの千坂平通支所長に続いて、安部市長は「この地区が一大花卉栽培地域に発展したのは日系団体の責任ある行動のおかげ」と祝辞をのべた。
 ウイリアン・ウー連邦下議の代理ロベルト・セキヤ氏が宮本会長に感謝状を渡し、式典は終了。植樹式となり、来賓によって三本の犬槙が植えられた。
 丹誠込めて昼食を用意した婦人会の石川アンジェリカ会長は、「子供から老人までいろいろな世代が集まって調和していることが大事」との協調、ボーロ・カットでは地区の四本柱となっている同協会、青年部、万寿会、婦人会の各代表がナイフをとった。
 サンパウロ援護協会の菊地義治副会長が音頭をとって全員で乾杯した後、和やかに記念昼食会を行った。その間、六十周年記念で制作された昔からの写真を集めたDVDが上映され、各家族にプレゼントされた。
 当日は、再選を決めたペドロ・コムラ市議、中山喜代治モジ文協会長らも出席した。

イタペチ60年=苦難の歴史経て大産地に=「昔は容易でなかった」

 一九四八年九月十日にイタペチ初入植した六家族は小森園吉之助、樋口貞一、安藤整蔵、峯仁三郎、大関三之助、横山均ら。同二十一日には日本人会を発足させた。現在も約六十家族が住み、約八割が花卉栽培に従事している。
 電化したのは七二年、七六年から採砂業者との公害問題が起き、電話が開通したのは八〇年。九八年に入植五十年祭を挙行し、翌九九年に念願のアスファルト道路となった。
 イタペチ地区はアウト・チエテ地域の中心的生産地の一つ。モジ市広報によれば、同チエテ地域は全伯の柿生産の五五%、ビワの九〇%、葉野菜の五五%、食用キノコの八〇%、ウズラの卵の三三%を占める。特に蘭などの観賞植物の産地として有名で、州全体の一三%を生産している。
 五四年に入植した河坂味智子さん(94、広島県出身)は「道路のことは本当に苦労したが、ここは発展を遂げた。みんな調和して暮らしているのがなにより素晴らしい」と感慨を込めて語った。四十一年間、同地に住む田中徳子さん(91、北海道出身)も「昔の生活は容易なことではなかった」と語った。
 現在、同協会では三月に柿祭り、五月にヤキソバ祭り、七月にはすき焼き祭りと活発にイベントを行っている。
 サンパウロ市から車で一時間と近いことから、イタペチ地区全体で観光農村化を目指しており、毎週末に地区の蘭園を解放して、観光客が見学できるようにしているほか、独自に「花の杜」公園も造成、来場者を受け入れている。