ニッケイ新聞 2008年9月25日付け
百周年を迎えた今年、いくつの記念式典で日本移民、日系社会を顕彰する言葉を聞いただろうか。歯の浮くような美辞麗句から、万感胸に迫るものなど様々だ。今月二十日、CEAGESP(サンパウロ州食料配給センター、セアザ)であった百周年式典でのボフィーノ会長のあいさつ「節目だからではなく、日本人に対して感謝したいことはあまりに多い」は、なかなかに沁みた▼実は「農業の神様」という呼称はポルトガル語に相当する言葉はないらしく、日本人が名付け親だという。しかし、農業面で国づくりに参加した貢献は誰もが認めよう。育成の技術面だけでなく、普及に対してもだ▼かつてロライマ州で移民女性を取材した。野菜を食べる習慣がないにも関わらず、募集の理由が「食料供給」だったというまさに〃棄民〃の地。町に出るのに三日、「自転車に野菜を積んで各家庭を回り、『体に良いから』と病院に買い取ってもらった」。その涙ぐましい販売努力には、政府の杜撰な調査への怒りよりも日本人として誇りを感じたものだ▼セアザがカンタレイラから、当時郊外だったヴィラ・レオポルジーナに移転した当初、生産者の利用は伸びなかったという。しかし、日系農協が積極的に協力、軌道に乗せたことは、〇六年にあったセアザ創立四十周年式典でもその先駆者精神が賛辞の対象ともなった▼今回の式典では二十二人の日本人・日系人が表彰された。少ないのではーとも思ったが、「固辞した人が多かったんですよ。やっぱり日本人なんですねえ」と関係者。その無言のうちに、南米最大の台所を支えてきた〃職人的矜持〃を感じた。 (剛)