ニッケイ新聞 2008年9月24日付け
世界ウチナーンチュ会議の一環として、琉球大学移民研究センターによる百周年記念シンポジウム「移民百周年とウチナーンチュ」が八月二十五日午後、サンパウロ市内ホテルで行なわれ、約六十人が熱心に聞き入った。同大学の石川友紀名誉教授による「ブラジル沖縄移民研究三十年の歩み」など九人から興味深い研究成果が次々と発表された。その概要を二回にわたり紹介する。
島袋伸三名誉教授の「移民研究三十年のフィールドノートから」では、本土からの戦前移民は平均六回ぐらい引越しをしているが、沖縄移民の場合は十五~二十回も繰り返す傾向が指摘され、「二百~三百キロ移動するのは当たり前」と、苦労した移住生活の実態を数字で示した。
一九一四年から三十年間、日本の統治下だった南洋群島との関係を調査した中程昌憲教授の「南洋群島と沖縄の移住者たち」では、パラオのガラスマオ村落で「安里屋ユンタ」にあわせた踊りが今も現地で継承されており、「自分たちの曲だと思っている」との興味深い報告もあった。占領時代に、沖縄島民が畑仕事の最中に歌っていたものを覚え、現代まで伝えているのだろうという。
逆に、うるま市の栄野比では地元の青年会が南洋の島民ダンスを今も伝えている。このような深い交流から、独自の南洋色を持った佐藤太佳子さんの琉球舞踊「南洋千鳥」などが生まれたと解説した。
南マット・グロッソ州都カンポ・グランデ市が沖縄ソバを無形文化財に指定したように、ハワイでは沖縄のサーターアンダギーが「タマ」と呼ばれ、現地食と思われていることも紹介され、食文化の混交が進んでいることを印象付けた。
ハワイ大学の教授二人に続いて、町田宗博同センター長が五年目を迎えた活動内容(www.imin.u-ryukyu.ac.jp)と「移民データベース」について発表した。
デカセギと季節労働
宮内久光教授は、本土に季節労働に行く沖縄の若者「キセツ」百三十人を調査し、南米からの日系人と同じ職場で働き、「景気変動に伴う雇用量の調整弁」として機能していると解説した。
かつては東北地方からの出稼ぎ者が担っていた季節労働だったが、九〇年の入管法改正により南米から日系人が呼寄せられるようになった。安価な人件費を求めてアジアに進出した日本企業の一部は、国内に戻り、地続きにも関わらず、それまでは見向きもされなかった東北にも工場を設置するようになった。
宮内教授によれば、年に数日、台風の影響を受けて部品の出荷に影響がある沖縄には進出が難しく、本土に働きに行く状況にあり、九七年からの十年間だけで三万九〇二五人を数え、全国一位。
事前条件と実際の違いには「事前条件より悪かった」と回答したうち、「金銭面」が二五%、「労働時間や作業内容」が二八%だった。キセツ体験の否定的評価としては「沖縄に戻ると低賃金になるので、働く気がなくなる」「大金が入り浪費癖がついた」「単純な仕事で技術習得ができない」などが挙げられ、日系ブラジル人のデカセギと共通する部分があり、「今後は比較研究が必要」と語った。(つづく)