ニッケイ新聞 2008年9月10日付け
「日本移民ゆかりの植民地」レジストロで六日、日本移民百周年を記念した諸行事があいついで実施され、町全体が盛り上がりを見せた。聖南西、リベイラ沿岸地域の日系団体、自治体が一体となって準備を進めてきた同祭典。友情の灯リレーからオベリスコ落成、そして式典――、参加者は様々な記念行事を通じ、節目の年を迎えた喜びを地域全体で分かち合った。
百周年オベリスコ落成=日伯の手が〝融合〟象徴
直前まで強く降りつけた雨も小止みになった六日午後四時、レジストロから聖南西サンミゲル・アルカンジョへ向かう州道139号一キロ地点のロータリーで、聖南西・リベイラ百周年記念のオベリスコ(記念塔)の落成式が行なわれた。両地域の関係者、市民ら数百人が集まり、周囲を埋め尽くした。
建築技師の高橋国彦さん(54、福岡、元レジストロ文協会長)が設計したオベリスコは、高さ十メートル、重さ三十トン。日ブラジル国旗を象った移民百周年ロゴマークを、ブラジルと日本を表す手が支える。
落成に先立って、オベリスコ脇の点火台に「友情の灯」が灯された。サンパウロから運ばれ、レジストロ市百周年委員会(那須野秀男委員長)と文協により、四日から落成当日まで市内三十一校の学校生徒がリレーしてきたものだ。
さらに同委員会により、市内、近隣の学校生徒一千人が並び、日伯両国歌、「さくらさくら」、「花」と「アクアレラ・ド・ブラジル」を合唱。盛大に上がった花火の音が周囲に響きわたった。
オベリスコ前の舞台には同地域百周年実行委員会の山村敏明委員長、那須野委員長ほか、島内憲駐伯日本国大使、クロヴィス・ヴィエイラ・メンデス市長、前市長でオベリスコ建設予算獲得に尽力したサムエル・モレイラ・ダ・シルバ・ジュニオール州議、同地出身の柴田アゴスチンニョ空軍少将、飯星ワルテル連議らの姿。
山村委員長は「この場所を通り、日本移民はスドエステ、そして全伯へと広がっていった。このオベリスコは二つの文化、二つの民族の調和と共生、そして胸を開いて私たちを迎えてくれたブラジル人への感謝を表している」と述べ、関係者へ感謝の言葉を述べた。
大使は関係者の努力への賛辞とともに「この地域の日系人がこれからも日伯関係に大きな役割を果たすことを期待する」とあいさつ。市長は「このオベリスコは日本移民の苦闘と達成を伝えるもの」などと、来賓がそれぞれ祝辞を述べた。
その後は参加者が思い思いにオベリスコ前で記念撮影する姿が見られた。
オベリスコ下部のプレートには、両地域の百周年委員会関係者、日系団体、自治体などの名が刻まれている。二カ月前から建設を進めてきたという高橋さんは、「(オベリスコが)この百周年を次の世代に残す記念になれば」と感慨深げな表情を見せた。
5百人集い記念式典=47人に栄誉の功労賞
その後市内のイベント会場「HANGAR 116」に移動し、午後六時から「聖南西・リベイラ沿岸地区日本移民百周年記念式典」が挙行された。
両地域の三十四日系団体から代表者が出席、各自治体の関係者などを加えおよそ五百人が訪れた。
冒頭、カトリック式の先亡者慰霊祭が厳粛に執り行われた。イグアッペ中央教会の長山アゴスチーニョ武一神父は祭壇に向かい、先人への感謝とともに、日本とブラジル、さらに日本で暮らすブラジル人を日伯の「新しい絆」と位置付け、会場全体でその幸福を祈った。
続く記念式典の目玉は、功労者の表彰。これは両連合に加盟する日系団体、自治体からの推薦を、実行委の顕彰委員会が審査・選考したものだ。これに先立ち、オベリスコ落成式でサムエル州議に伝達。式典では、UCES(聖南西文化体育連合)歴代会長を含む四十六人ひとりひとりに、島内大使から記念プレートが手渡された。
来賓祝辞のほか、レジストロの姉妹都市、岐阜県中津川市、同市の姉妹都市友好推進協会からのメッセージも紹介された。
実行委員長として奔走してきた山村さんは、先人への感謝とともに現在の日系人の活躍に触れ、「〃現在の大国〃ブラジルの発展に尽すことが、日本移民を温かく受け入れたブラジル国民への返礼となる。これからも両国民友好促進のため努力したい」と万感の面持ちで述べた。
式典にはミス百周年の中原カリーナさん(モジ)ほか、同地域のミスも訪れ、花を添えた。
式典後の夕食会ではレジストロ文協の民謡大和会、レジストロ涼風太鼓やゼンシン・ニッポ・カンピーナスのYOSAKOIソーランなども披露され、歓談は夜中近くまで続いた。
功労賞を受けたミラカツ在住の長田栄治さん(90、沖縄)。数年前に大きな手術をしたというが、この日は元気に会場を訪れていた。三七年の同地入植以来、地元文協会長、市会議長などを務めた長田さんは「妻や子供、周囲の協力があったおかげです」と感想を語った。
「疲れた」と開口一番安堵の表情を見せたのは、実行委副委員長の森エリオUCES会長。レジストロでの式典実施を決めた三年前から、各地にそれぞれ記念事業を呼びかけ、それが実現してきた経緯を振り返り、「この三年間で交流が深くなったのが一番嬉しいこと」と笑顔を浮かべた。