ニッケイ新聞 2008年8月30日付け
アマゾンのシング―河上流域に、小国家ともいうべき先住民の大規模集落が形成されていたと考古学者たちが発表した。
二十九日伯字紙によると、この研究は伯米の学者の共同作業。未踏のアマゾンとみられていたマット・グロッソ州(MT)シングー先住民公園域内での、市街地化された大規模集落形成が確認されたという。
ブラジルの歴史はカブラルによるブラジル発見(一五〇〇年四月二十二日)からと考え易いが、それ以前から国内に住んでいた先住民は相当数おり、今回の研究地域での一二〇〇~一六〇〇年の先住民人口も五万~一〇万と推定。一万七五〇〇平方キロ(五万平方キロに及ぶ可能性もあるという)の地域に広がる先住民国家は、防護壁で囲まれ三〇ヘクタール以上の面積の市と、それより小規模な町や村から成る。学者たちが実に計画的に形成されているという市街地は、宗教的儀式などのための広場を中心に住居が広がり、各集落間も道路網でつながっている。
また、一五カ所はあったと考えられる市は、すべて丸太で作った防護壁で囲まれ、大きいものは五〇ヘクタール、人口も二五〇〇人規模と考えられている。また、防護壁外ではマンジョッカや果実の栽培も行い、集落の端には、農漁業の道具や収穫物保存用の小さ目の小屋もあったという。
先住民の諺や伝承の信憑性を確認した学者たちは、この地域の先住民文化は高度で、木や土を利用して形成された市街地は、伝染病で先住民が急減して消滅と考察。未踏のアマゾンとみなされていたのも、消滅後の市街地を新しく生えた木が覆い、原生林のようになったからと説明した。
「先住民は、MT州知事マギ氏とは違う方法で土地を有効利用」とユーモラスに語る学者たち。居住域と農耕域が一体化した形はヨーロッパ型より高度で、各集落の政治的、宗教的体制も確立していたようだともいう。
シング―地区の先住民は、小規模でも前史を反映した政治形態を残しているというが、先住民の文化や習慣、諺がかつての繁栄を物語り、意味を持つことを立証してくれた考古学者たち。先住民国家の存在と消滅は自然との共存のあり方なども考えさせるが、先住民保護区問題など、大きな選択を迫られている時に貴重な研究発表となった。