ニッケイ新聞 2008年8月27日付け
沖縄県人移民百周年を記念した「第六回おきなわ祭り」(県人会ビラ・カロン支部主催)が二十三日正午から、同支部会館前の運動場で行われた。昨年は一万五千人が来場した同祭り。今年は地元住民、県人会関係者など二万五千人(主催者発表)が来場。母県沖縄、ハワイ、アメリカ、欧米などからの慶祝団も多数訪れた。同日午後三時からは支部会館前の街路で「県人移民百周年祝賀パレード」が行われ、計一千六百人からなる多彩なパレードで賑わいを見せた。
午後三時、玉城流玉扇会と金城節子琉舞道場による獅子舞により、華々しく祝賀パレードが始まった。ミス琉装などが鮮やかな衣装で通りを彩り、その後に母県、市町村、世界各国からの慶祝団が続く。
その後も琉球舞踊「四つ竹」の優美な踊りや、琉球國祭り太鼓、レキオス芸能同好会の勇壮な演奏(計六百人)、ブラジル琉球舞踊協会の「海を渡って百周年」音頭(百二十八人)などにより会場のボルテージは一気に上昇。
九五歳以上の高齢者を乗せた車や、ミルク(弥勒)が街路を練り歩き、最後には、サンバチーム「Rosas de Ouro」が登場。興奮冷めやらぬ中、パレードは終了した。
パレード実行委員長の上原テーリオさんによれば、今回のパレードのために昨年十月から準備を続けてきたという。「四月から子供たちが休みの時に毎日練習してきた。百周年のためにやってきたので、成功できて良かった」と安堵の表情を浮かべた。
おきなわ祭りの会場では二百五十人による三線演奏ほか、七百人のエイサー太鼓、四百人の沖縄空手演舞など、迫力満点の芸能が披露された。
県系バンド「トントンミー」や沖縄出身の歌手、具志恵さんなども出演し、来場者は郷土の歌に聞き入っていた。
食コーナーでは、沖縄そばやヒージャー(ヤギ)汁などの郷土食をはじめ、七十五の屋台が軒を連ねた。
沖縄の伝統料理であるヒージャー汁を販売したサンマテウス支部は、今回のために羊十五頭分(五百キロ、二千食分)を用意。一週間前から準備を始め、今回ほぼ完売した。千五百食の沖縄ソバを準備したカロン婦人会も順調な売れ行きを見せていた。
パレードの後に行われたセレモニーで、与儀昭雄県人会長は「たくさんの人に来場していただき、百周年のこの年にかくも盛大に行えることを嬉しく思う」とあいさつ。来伯中の安里カツ子同県副知事は「沖縄県人が頑張っていることがウチナーンチュとして嬉しい。イチャリバチョーデー(出会ったらみな兄弟)の精神でこれからも仲良くやっていきましょう」と呼びかけた。
レキオス芸能同好会の太鼓演奏の前には、ジルベルト・カサビサンパウロ市長をはじめ、飯星ワルテル下議、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両サンパウロ市議などが訪れ、それぞれ祝辞を述べた。
新崎支部長は「こんなに盛大にこのフェスタが開催できることを嬉しく思う」と話し、同地区の県系社会の歴史を話し「先人はこの地区に素晴らしい沖縄文化をもたらした」と称えた。
祭りは午後十時にカチャーシーでフィナーレ。参加者全員で踊り、楽しい内に終了した。
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今回の百周年のため、沖縄県の旅行会社五社では南米初のチャーター便をコーディネイトした。その一つ、(株)沖縄ツーリストの東良和社長は「ウチナーンチュの絆の強さがあってこそ、チャーター便が実現できた。皆さんに感謝しています」と、にぎわうパレード会場で笑顔を見せた。
チャーター便で参加した中眞良明さん(62)、弘子(62)さん夫妻は、今回初めてのブラジル訪問。「沖縄の文化を残しながら活動していることを実感できた。来て本当によかった」と嬉しそうに話した。
シカゴから友人に誘われて参加したという川村季子さん(85、東京)は「沖縄の伝統的な三味線や舞踊を見て、涙が自然と出てきた」と感激の面持ち。
ハワイのホノルルから参加していた荒垣ロイドさん(55、三世)、ジョイさん(53、三世)夫妻は「ハワイにも負けないぐらいの祭りだった」と驚いた様子で感想を語った。