ニッケイ新聞 2008年8月13日付け
【カストロ発】一九五八年にコチア産業組合の八人がパラナ州カストロへ入植した五十年後の今年、十日にカストロ文化体育協会(ACEC)で入植五十周年祭(前田猛実行委員長)が午前十時過ぎから催された。コチア青年やその家族、近隣に住む子孫、寄宿舎時代のカストロ奨学舎の卒業生らや、佐藤宗一在クリチーバ総領事、パラナ日伯文化連合会の沼田信一顧問など約六百人が集まり、盛大に祝われた。同祭では、五十年前に入植した八人の先人と、歴代ACEC会長十一人、コロニアの発展に尽くした十人の功績を称え、ACECよりオメナージェンされた。
「これからの五十年、百年も、力を一つに合わせて歩んでいきましょう」―。大久保アンドレ武ACEC会長(52、二世)が力強く挨拶し、長谷川多喜子導師により先亡開拓者追悼法要が営まれ、先人たちに焼香があげられた。
前田委員長(73、二世)はカストロ五十年を振り返り、入植当時から教育に力を入れてきたおかげで今日があることなどを挙げ、「先人たちや今ここに集まっている全ての人に感謝したい」と言葉をかみ締めながら同祭を迎えられたことを祝した。
ジョゼ・オタービオ・ノセラ市長も挨拶の中で、コロニアに感謝の意を述べるとともに、功労者らの名前を一人一人挙げて功績を称え、この度同地で五人目の受章となる市民名誉権章を土井大生さん(ひろむ、74、北海道)へ贈った。
式典後、小森敏夫・元ACEC会長(58、富山)による音頭で集まった六百人は乾杯、食事が振舞われた。巻寿司、煮しめ、赤飯などの料理は全て婦人部(千葉かずえ部長)の手づくり。
各テーブルに用意された刺し身の盛り合わせは、青年部の通称「寿司グループ」が一日がかりで調理したという。
食事中、五十年を振り返る写真が約三十分間スクリーンに映しだされ、それぞれが思い出話に花を咲かせた。
コチア青年で六〇年に入植した故・竹政伍郎さんの妻澄子さん(74、二世)は、写真を見ながら「この日が来るなんて想像できなかった」と、しみじみ呟いた。
六二年に入植、現在も芋やニンジンを作っているコチア青年の鎌田勝五郎さんは、当時は新しい土地でしか芋が取れなかったことを説明し、「パトロンにくっついて五、六年サンパウロ中を転々とした。一年で二カ月しか取れなかったこともある。変動が激しすぎて、結局ここに芋で残ってるのは当時の四分の一」と話した。現在は、同地で作られる芋は全てペプシコーラ社との契約栽培。「儲からない。でも安定はしてるから」と、コチア青年たちは口をそろえた。
食後はステージで、結成五年目、十代中心の太鼓グループ「志」十三人の勢い漲る太鼓と掛け声が響き渡った。孫たちが舞台を飾る姿に、前田光子さん(69、福岡)は「孫が立派に活躍してくれていて、本当に幸せよ」と優しい笑みを浮かべた。
続いてブラジル人の子供三十五人で編成する「カストロ連」は、YOSAKOIソーランと百周年記念曲「海を渡って百周年音頭」を披露。会場の温かい手拍子に、踊り子らははにかんだ笑顔で応えていた。
その後、「ふるさと」を全員で大合唱し、ACECの庭に建てられた五十周年記念碑・慰霊碑前で各々写真撮影をし、名残を惜しみながらの解散となった。
カストロや各地で活躍する次世代が多く集まり「本当に素晴らしいフェスタだった。ありがとう」と挨拶してゆくのに対し、前田委員長は「心からホッとしています。次世代にバトンタッチできたと思う」と語っていた。