ニッケイ新聞 2008年8月12日付け
〇一年一〇月に掲載した連載『出稼ぎ高齢者の見た日本』では、一世が切ない気持ちで思い描いていた「祖国」が、現実には異なる姿であることをデカセギで気付く、という心の軌跡を追った。
移民にとって〃故郷〃とは、親密な人々との大切な思い出の舞台であり、物理的空間以上の心理的意味を持つ場だ。そこを離れたとたんにイメージが固定され、時と共に懐かしさを醸成する。でも、現実の〃故郷〃はいやおうなく変化してしまう。
例えば、連載時に七十八歳だった戦前移民男性(大分県出身)は、親から戦前式教育を受け「死ぬなら日本で!」とたたき込まれていが、実際に見た日本に「違和感をうけた」という。「言葉には問題ないんだ。自動販売機の字が読めないわけじゃない。でも、実際には駅で切符の買い方一つ分からないんだ」というもどかしさを感じ、「やっぱり死ぬならブラジルで」と考え直した。
同じ「日本人」であっても戦中戦後、お互いが違う文化・文脈の時間と場所で生きてきたことで、何かがすれ違うようになった。
デカセギ経験の中で、一世は「自分が祖国から求められているのは、産業社会の最下層労働者としての役割だ」と体で感じた。その地位を「移民」と重ねて再認識し、祖国と自分の関係を問い直した。祖国とのつながりは金だけなのか、と。
一世の多くは、世界に誇る工業大国の最底辺を知るにつれ、祖国がどこか根底から変わってしまった寂しさを覚えた。以前には「胸をしめつける郷愁の中心舞台」であった〃故郷〃は、デカセギ経験を経て、ブラジル社会の「背景」へと遠ざかっていった。
移住生活では、好き嫌いを問わず異文化のいくらかを自らに取り入れ、それを含めた新しい考え方を肯定的に作り直さなくては、精神的に安定して生活することは難しい。一生我慢し続けられないから、耐えられなくなった時点で帰国するなり再移住する。今いる人は、ブラジルによって「選ばれた人」でもある。
数年で帰国するなら、異文化に出会った時だけ我慢したり、慣れるだけですむが、永住を前提とした場合、それが日常になる。
このように、目前の現実に合わせて考え方を組み直す経験の積み重ねの中で、いつの間にか、移民の中には独自の共同体意識が作り出されていたようだ。デカセギにいって、日本の日本人のもつ「日本人意識」と比べたときに、初めて違うものであることに気付いた。
三五年、十歳で親に連れられて移住してきた準二世(連載時、76歳、山梨県出身)は、デカセギで貯めた四百万円で西日本を旅行して回った。「我々のような戦前移民が持ってる日本のイメージは、現実からかけ離れてしまった」からだ。そして、今の日本を見ることが「ブラジルの日本人意識を再生する」ことにつながると考えた。
彼は「ブラジルの日本人は、もっと本当の日本人意識を持っている」と表現した。デカセギ経験を通じて「日本の日本人と我々は違う」という意識が生まれ、そこからもっと〃本当の〃日本人意識をもったブラジルの日本人を再生する考えに広がる。「日本には失われてしまったが、ブラジルには残っている。それを活性化させたい」という考えだ。これもまた、国境を超えたナショナリズム思考といえそうだ。
一世にとってデカセギという経験は、甘酸っぱい〃故郷〃への幻像を、ほろ苦い現実に変える機会を提供した。だが、それで日本との関係が終わった訳ではなく、距離感を変えた。
自分たちが思っていたような形の「想像の共同体」は存在しないが、むしろ、自己肯定を強める形で「ブラジルの日本人」という自己認識が生まれつつあるようだ。
(続く、深沢正雪記者)
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