ニッケイ新聞 2008年8月12日付け
広島と長崎の「原爆の日」も終わり8月15日が近づく。あの暑い日の正午。昭和天皇の玉音放送があり国民たちは涕泣した。米英中ソのポツダム宣言を受諾すると決めたのは8月9日に皇居で開かれた御前会議であり、10日の午前にはスイスの日本大使館に公電を発し米英への通告を指示し、玉音放送の原盤を運ぶ迫水久常書記官長の秘話もある▼秘話はまだある。同盟通信(戦後に共同通信と時事通信になる)の外務省担当記者・森元次郎氏が「ポツダム宣言を受諾」の大スクープをやったのである。10日の午前中に外務省の英米課にいくと、課員が1通の書類を取り出し表紙を上にして机に置く。英文だが、そこには御前会議でポツダム宣言を受諾―とある。2人は言葉を発しない。目で語り合い、全てを了解する▼帰社した森は上司の長谷川才次海外局長(後に時事通信社長)に報告する。当時は陸軍の検閲があり、報道も自由ではない。このような国家の最高機密を通信社や新聞が掴んだとなれば、当然、大騒動になる。長谷川局長は「本当か」と言い、どのように発表しようかと頭を痛める▼そしてー海外放送を使い英文で放送することに決める。この原稿が10日の午後8時10分すぎから「日本はポツダム宣言を受諾せり」と世界に流れた。トルーマン大統領も「傍受機関から報告があった」と記しているし、ロンドンもパリの市民も大喜びし街路で踊り狂った。まさに歴史的なスクープであり、マスモミでは今に語り継ぐ。敗戦の責任を取り介錯無用と割腹した強硬派の阿南惟幾陸相の自裁もあるし、終戦の頃の哀話は多い。 (遯)