ニッケイ新聞 2008年8月6日付け
実際の被爆資料が持ち込まれた展示としては、中南米初となる「ヒロシマ・ナガサキ展」がモオカ区の州立移民博物館で二日に始まった。来月七日まで一般開放される。ブラジル日本移民百周年を機に企画され、広島、長崎両市と在ブラジル原爆被爆者協会(森田隆会長)の共催。熱線で変形した瓶や炭化した弁当箱など、十九点の被爆資料が展示され、四十八点のポルトガル語で説明された写真パネルは、同博物館に寄贈され、州内で巡回展示される予定。
同展は被爆五十周年を迎えた一九九五年に広島、長崎両市の共同事業として始まり、今回で十三カ国、三十五都市目となる。メキシコ以南では初。
二日午前にあったオープンニングには、州や市の関係者ら約二百五十人が出席、同博物館のアナマリア・レイトン館長(61)によれば、公立学校の授業にも組み込まれ、約三万人の来場を見込んでいるという。
広島から出席した本多正登・広島平和文化センター常務理事(58)は「被爆後六十三年が経ち、当時の悲惨な記憶は世界的に薄れつつあるなか、国際世論を高めていくきっかけになれば」とあいさつ、テープカットの後、来場者は展示品を熱心に見入っていた。
広島出身の西村ヤスコさん(旧姓下道、77)は十六歳で被爆、五五年に来伯した。「写真を見て当時を思い出した。平和な時代が続いてほしいと思う」と願った。
ハンガリーからの移住者、エヴァ・ピレールさん(76)は、「人間が人間にやる所業ではない」と眉をひそめ、「戦争では何も解決しない。中南米に核兵器はないが、世界からなくす声を上げるべき」と話した。
会場入り口には、ブラジル、広島、長崎の砂を混ぜ、原爆ドームや平和の像を描いた水彩画が飾られた。作者はサンパウロ在住の画家、伊藤薫さん(71)。八歳のとき長崎で被爆した。
「いたるところで死体を焼いていた。今でもあの惨状が頭から離れない。二度と戦争を起こしたくない思い。魂を入れて絵を描きました」
森田会長(84)は、
「かねてから原爆展の開催を願っていた。ブラジルの子供たちに平和学習を通して戦争の悲惨さを伝えるのが我々被爆者に残された仕事」と表情を引き締めた。
月曜休館。開館時間は午前十時から、午後五時まで。詳しくは、同博物館(Rua Visconde de Parnaiba, 1316 ? Mooca、メトロ・ブレッセル駅から徒歩十分。電話=11・2692・1866)まで。