ニッケイ新聞 2008年8月2日付け
「サントスでヨーイドン!」という言葉は、移民独自の心情のひだを良く表現している。
第一回移民船笠戸丸以来、かつて日本移民はブラジルまで船で四十日、五十日かけて渡るという一種の通過儀礼を体験することにより、地球の反対側にある「新天地」に到着したと実感した。
赤道通過時に行われる「赤道祭」や運動会は、移住体験に欠かせない心理的な〃儀式〃だった。
おなじ〃儀式〃を体験したもの同士の心理的な結束は強い。日本では学校の同窓会が一般的だが、移民にとっては「同船者会」という存在が別格だ。同じ船にのり、同じ不安を抱えてブラジルにやって来たという共通の体験が、あたかもブラジルという外地における「戦友」のような連帯感を生んでいる。
船を降りてサントスに上陸することは、その瞬間に、日本での学歴や家系、経歴を一端断ち切り、人生の全てを一から再出発させることを意味した。渡航費用が高かった当時、その過程を経る中で自然に「滅多なことでは帰れない」という心構えができていた。
移民船での共通体験を持つ世代に対し、交通機関が発達して航空機移住世代になった七〇年代以降は、この〃儀式〃を経ていない。移民としての心構えには、おのずと差異が生まれただろう。
さらに、九〇年代以降のデカセギブームによる航空運賃の低下、わずか二十四時間あまりで日本へ行ける容易さ、インターネットや衛星放送の普及による映像をともなった臨場感のある日本の情報などの環境変化は、まさにグローバル化のたまものだ。
この変化もまた、移民の心理に大きな変化をもたらし、今までとは別のレベルで「遠隔地ナショナリズム」が生まれている。
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ブラジルでも九八年十月から「NHKワールドTV」(外国人向け英語放送)、〇〇年三月から「NHKワールド・プレミアム」(在外邦人向け日本語放送)が視聴できるようになり、祖国の情報に飢えていた一世らは貪るように画面に食い入るようになった。
九八年、軌を一にしてNHKのど自慢大会のサンパウロ市大会が開催され、NHKへの関心は一気に高まった。
NHKが見られるようになった時の衝撃は大きかった。映像という形で、今現在のナマの日本が臨場感豊かに伝わってくるようになった。
さらに大相撲の生中継には、ニュース以上に大きな関心が集まった。それまでは、短波ラジオのNHK放送にかじりついて聞くか、邦字紙の文字情報を待つしかなかったものが、動く力士が見られるようになった。
本場所開催中は、多くが朝四時頃に起床し、朝のあいさつは「睡眠不足ですね」と言い合うことが半ば慣習になった。
また、朝の連続ドラマ『ちゅらさん』の放送後は、日本同様、リベルダーデでもニガウリが当たり前に日系商店の軒先に並ぶようになった。
日本移民の高齢者が初めてNHK国際放送に接した〇〇年のころ、同居する二世の息子たちが気味悪がったという話をよく聞いた。
親たちは一日中テレビの前に座り込み、夕方にも関わらず、十二時間時差のあるNHKの朝のニュースで「おはようございます」と画面から言われると、オウムがえしに返事をしたという。それを見た息子らは「パパイ(父)は頭の中では日本にいるみたいだ」といっている話だった。(続く、深沢正雪記者)
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