ニッケイ新聞 2008年7月3日付け
ブラジル日本文化福祉協会(上原幸啓会長)が主催する「白寿者および最高齢者表彰」が六月二十九日午前、文協ビル貴賓室で行われた。白寿者五十人は、家族ら二百人が見守る中、賑やかに慶祝された。昨年は三十五人だったが、今年は五十人。在聖総領事館からは梶谷健二郎領事、レアル銀行の清水オリジオ取締役らも列席した。
司会進行を務めた山下譲二副会長は開会のあいさつで、「百周年の年だけに、先輩諸氏への感謝の気持ちを込め、最も意味のある行事だ」とのべた。
上原会長は「ここにいる子供、孫、ひ孫のみなさんの愛情も大切。ご家族全体へのオメナージェンでもある」と家族への気遣いをみせつつ、「世界でも最も重要な〃人生の大学〃で博士号をとったといっていい、白寿者のみなさんのご経験を、ぜひとも次の世代に伝えて欲しい」とUSP名誉教授らしい比喩で、表彰を受ける諸氏を持ちあげた。
最高齢者表彰の予定だった百七歳の阿部フサヨさんは残念ながら、奇しくも六月十八日の移民の日に他界したことが報告された。岩手県出身で、サンミゲル・アルカンジョ市在住だった。
また、百四歳でパラナ州在住の吉野オワカさん(広島県出身)も出席できなかった。
二人以外は九十九歳から百一歳。全員(家族の代理も含め)に表彰状、記念品、金一封が贈られた。
表彰者を代表して、花城淑子さん(99、沖縄出身)=サンパウロ市在住=が杖をつきながらも、はっきりした声で「先日、皇太子さまから温かいお言葉を頂戴した。本当に長生きした甲斐があった」と喜びを表現し、大きな拍手を浴びた。
第二部では、子供や青年による日本舞踊「雪月花」「一剣」が披露され、鈴木ジュリアナさんが横笛で「荒城の月」などを演奏すると、白寿者からは懐かしさのあまり唱和する声が広がった。最後に特別ゲストの響ファミリー(響彬斗、一真、悠嘉)が見事な扇の舞などを見せた。
その後、大サロンに場所を移し、今回特別に用意された昼食に舌鼓をうった。
ニッケイ新聞の取材に対し、森田けさ子さん(99、長野県)=イタケーラ在住=は「夢のように過ぎたですよ」と渡伯以来の七十四年間を振り返り、「表彰を頂いて嬉しい。みんなによくしてもらった。ブラジルに来て良かった」と感謝した。
藤原佐久さん(まもる、100、三重県)=サンパウロ市在住=は「こんな表彰をいただき感激です」と笑顔を浮かべた。今までの生涯で、「火事と鈴蛇に咬まれそうになったことの二回、死ぬか生きるかの瀬戸際を経験した」と何事もなかったかのようにあっさり語った。
原田ナヨさん(99、愛知県)=モジ在住=は「とても幸せです。百歳まで生きたい」とはつらつとした様子で語った。
同伴した息子の忠雄さん(75、愛知県)によれば、十年前と昨年、ナヨさんは病気で死線を彷徨ったという。「去年も心臓の病気で、医者からもうダメだって言われた。こんなに元気になったのは奇跡ですよ。今日、母は本当に喜んでますよ」と破顔一笑した。
■人マチ点描■2世と3世の最高齢
文協で6月29日に行われた白寿者表彰には、本紙新年号既報の、二世最高齢の具志堅カルメさん(99)=サンパウロ州ボツカツ市在住=の家族が代理で出席した。次男の具志堅コウトクさん(75、三世)によれば、「母は少し足が弱っているだけで健康上の問題はない」という。
カルメさんと一緒に住む娘のチエコさん(54、三世)も「このようなオメナージェンしてもらって家族として嬉しい。最高齢二世ということで母の存在価値を高めてもらった」と喜ぶ。
孫のスエリー・ケイコ・ミヤシロさん(46、四世)も「おばあちゃんは絶対に人を悪く言わない。彼女から昔の話聞くのがとても楽しみ」という。
笠戸丸の翌年1909年に生まれたカルメさん。その長男セイユウさんは、カルメさんが22歳の時に生まれており、やはり三世最高齢の可能性が高い。
両親が笠戸丸移民のカルメさんは子供(三世)11人、孫(四世)11人、ひ孫(五世)14人。ここからも六世が生まれるのは時間の問題だ。 (深)