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浜松の大凧、サンパウロ市で揚がる=「人材交流できた」=浜松の代表手応え=風が弱くても=青年ら滑車支え走る

ニッケイ新聞 2008年7月1日付け

 移民百周年を記念して、静岡県浜松市の伝統行事「浜松まつり」を再現した大凧揚げが二十八日、サンパウロ市チエテ環境公園で開催された。好天に恵まれ、日系・非日系問わず一万人以上の人が会場に駆けつけ、空高く揚がる日伯友好のシンボルに大きな拍手をおくった。この日、イベントを協賛したカイシャ・エコノミカから子どもたちに無料で八千枚の小凧がプレゼントされ、浜松の大凧とブラジル式の小さな凧が、同じ空で仲良く揚がった。特設舞台では太鼓やカラオケやアトラクションもあり、終日、家族連れで楽しむ来場者で溢れた。
 浜松の凧の歴史は古く、約四百三十年前、同地の城主が長男の誕生を祝って凧を揚げたのが始まりと言われる。その風習は今も「初凧」としてき、毎年五月の「浜松まつり」では百六十あまりの町が参加する「凧揚げ合戦」(別名「けんか凧」)が行われている。凧は大きいもので畳十帖分になるものも。
 今回揚げたのは、カイシャ・エコノミカのデザインを入れた大凧二枚と、移民百周年の記念ロゴマークが入った大凧一枚(約三メートル四方)。午前と午後に三十分ほど凧を揚げたが、あいにく風が弱かった。浮力を増やすため、糸を無駄なくたぐり寄せるテギと呼ばれる金属製の滑車を用いた。
 凧糸を通したテギを大人二人がかりで支えた。青年文協の会員やブラジル人ボランティアらが円形になって全力で走り、糸を勢いよく引いた。軽快なラッパの音色にあわせて、大凧はじわじわと揚がり、毎回三分ほど大空を舞った。
 同イベントのために、浜松まつり本部凧揚げ部員や市民有志らが来泊し、凧揚げを指揮した。凧揚げ団メンバーの石川淳さん(財団法人浜松観光コンベンションビューロー事務局課長)は「ブラジルの若い人たちの協力を得て凧揚げができた。今日会場に来てくれたブラジルの人達にもぜひ本場浜松の凧揚げを観に来てもらいたい」と満足そうに話した。
 大凧揚げを応援するため、凧を研究して六十二年の山里謙さん(69・二世・サンパウロ市在住)の姿もみられた。山里さんは、日伯両国の大きな国旗を両手にもち、「揚がれあがれ」と大きな声を出しながら、大凧を追っていた。
 日伯移民百周年記念事業浜松実行委員会の石川エツオさん(浜松ブラジル協会代表)は「今日のように天気がいいほど風が弱い。でも雨降りよりはよかった。現地の青年も参加してくれて、日伯間のよい人材交流ができた」と手応えを感じた様子だった。
 またテギを支えた青年文協の栗田クラウジオ会長は「日本の凧揚げのスタイルを始めて経験した。みんなで力をあわせて凧をあげる楽しみを知った」と汗を拭っていた。
 凧揚げにつかった三枚の大凧と道具はすべて、ブラジル側の日系団体に寄付されるという。