ニッケイ新聞 2008年6月26日付け
日本文化センターとして生まれ変わった旧サントス日本語学校。生け花の講座はすでに一部はじまっており、日本語学校については、「最初から大きくはできませんが、今年中に始められたら」と遠藤会長は話す。将来的には太鼓や折り紙、日本料理などの講座や、サントス日系社会の資料室の設置も考えているようだ。
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二十一日にサントスを訪問された皇太子さまは、旧サントス日本語学校改修落成式にご出席後、同市の金星クラブで開かれた昼食会に出席された。市長、日本政府関係者のほか、日本人会、地元の人たちなど三十二人が出席。「よろこんで食べていただいた」と日本人会の遠藤浩会長は振り返る。席上皇太子さまは、戦中の強制立ち退きの歴史に触れて「たいへんでしたね」と話され、遠藤会長は「当時住んでいた日本人は苦労したそうです」と説明したという。日語校返還が〇六年十二月、サントスの関係者にとっては長い一年半だっただろう。
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二十二日夜、マリンガ市をご訪問された皇太子さまは、同市内セントロの高級ホテルに宿泊された。そのホテルのオーナーは、「プリンシピが泊まった部屋は今日から『皇室のスイート』に名前を変えるよ」と満面の笑み。商売上手と感心。
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皇太子さまは九日間の滞在を終えられ、二十五日午前十時ごろ、リオから日本に旅立たれた。空港まで見送った鹿田明義リオ州百周年・日伯交流年実行委員長によれば、雨が降るなか、お車を先導する白バイや護衛の警察官ら全員に自ら握手、多忙なスケジュールにも関わらず最後まで笑顔を絶やされなかったという。「何と心のお優しいきさくな方だろう」と鹿田委員長、感心しきり。
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カルドーゾ前大統領夫人、ルッチ・カルドーゾ氏が二十四日夜、亡くなった(詳細は二面)。修士号、博士号ともに日本移民研究をした文化人類学者であり、その論文は『家族構造と社会的移動性 サンパウロ州に在住する日本人に関する研究』(二宮正人USP教授訳、一九九五年)として日本語でも出版されている。日本移民史に造詣の深い研究者として知られていただけに、このタイミングというのも何かの奇縁かもしれない。