ニッケイ新聞 2008年6月24日付け
多民族、元スポーツ選手らにリレーされながら神戸からの『友情の灯』が運ばれ、六世の大西優太君の家族が灯火台に点火するもなかなか着火しない。会場は固唾を飲んで見守るが、何と最終的には、痺れを切らした作業員が灯をつけるという何ともおマヌケな結果に。「今回の式典は九十点」と話す重田エルゾ氏によれば「雨で湿っていた」らしい。そんな基本的な理由だとは、日伯友好の象徴の灯だけに、何とも…
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サンパウロの式典で皇太子さまがご臨席中、背筋を伸ばし、直立不動の二人の老人がいた。脇山甚作大佐や古谷重綱元アルゼンチン公使らの暗殺に関わった元勝ち組のメンバーだ。今までの皇室ご出席の式典には「諸事情のため」出席できなかったという。お言葉中には手を合わせ、涙を流した。祖国日本を思い続け、皇室への敬慕を忘れていない二人の胸に去来したものとは何だったのだろうか。
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サンパウロの記念式典でもそうだったが、パラナ・ローランジアの式典でも、皇太子さまが会場で挨拶される時間になると、パラパラと続いていた小雨が止んだ。式典出席者の一人は「まさに神がかりのようだ」と、感動しきり。サンパウロでは、「やはり日の出ずる国から来られましたから…」との声も。
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二十一日にサンボードロモで行われた記念式典では、第三部でサンバチームヴィラ・マリアによる日本移民の歴史紹介が行われた。今年二月行われたカーニバルでは、日本移民をテーマに大きな話題を呼んだ。式典でも同じようなものになると期待されたが、バテリア隊や出場人数が少なかったし、山車も小規模になっていた。式典後には大半の人が帰ってしまっていたので少々盛り上がりに欠けていたような感じになっていた。
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サンパウロ、パラナで行なわれた百周年式典は、いずれも満員のにぎわいを見せた。皇太子さまが両方の式典で述べられたお言葉は、いずれの会場でもポルトガル語の訳がつけられた。二つの式典では、サンパウロのカサビ市長、パラナのレキオン州知事、アレンカール副大統領まで、ポルトガル語のあいさつに日本語訳がついた。かつてないことだと思う。パラナの西森式典委員長の場合、自身が両語であいさつ。レキオン知事の場合は、あいさつ自体が長くなってしまい、観客から苦情の声が聞こえ始めたほどだが、これも一世、日本からの慶祝団への配慮だろう。上原幸啓百周年協会理事長だけが、ポルトガル語のみ。一世を顕彰すると言っていたのは誰だっただろうか。