ニッケイ新聞 2008年6月21日付け
サンフランシスコ川の中流地帯に植民地時代から共和制初期まで、大麻栽培が行われていた。それが一九七〇年、農産物栽培で生産者の所得増加を期待して疎水工事が行われたが、結果は反対に所得格差を広げた。いまや生産者は大地主の労働者となって、大麻栽培に励んでいると六月号ル・モンド・ディプロマティック誌が報じた。
政府は第二次大戦後、同流域開発のために発電所建設と灌漑農業に力を入れた。当初は八ヘクタール以下の小農園が、トマトなどを栽培し生計を立てていた。発電所完成とともに、同地域の農業形態が変わった。
地価が値上がりすると資本家の農地買収が始まり、大農場が次々誕生。かつての小地主は農地を手放し、大農場で労働者として働いた。大農場はかんがいと新技術導入で益々繁栄し、旧地主を労働者に雇った。
旧地主の貧困化と水力発電所が、大麻の侵入にチャンスを与えた。相場の激変と病虫害に悩まされるトマト栽培より、農村労働者の生活は苦しくても収入が安定した。
監督官庁は、大麻栽培の取り締まりに努めたが効果はなかった。違法栽培で罪を負うのは、労働者で地主が摘発されることはない。地主は大麻栽培を命じたことはないし、そんなことは知らなかったと供述する。
国産大麻が生産されることで、パラグアイからの輸入は減少した。消費市場は北伯と北東伯で、販売網は一組織が独占している。労働者となった旧地主はいつも貧しいが、地主からは成金が続出している。