ニッケイ新聞 2008年6月21日付け
十九日午後着聖された皇太子さまは、同日午後四時四十分頃、サンパウロ市イビラプエラ公園内にある「開拓先没者慰霊碑」と「日本館」をご訪問になった。
ご訪問予定時刻から遅れること約四十分。白バイに先導され、皇太子さまがご乗車された車が姿を表した。
皇太子さまは、同慰霊碑を管理するブラジル日本都道府県人会(与儀昭雄会長)の長友契蔵副会長から、慰霊碑の説明を受けながら、慰霊碑の前にお立ちになった。すでに供花が置かれた慰霊碑に深々とお辞儀した。
その後、子ども達や訪れていた人たちが日伯両国旗の小旗を振るなか、隣接する日本館へと歩いて行かれた。途中、子供たちから「こんにちわ」とかわいらしい声が上がるたびに、笑顔で会釈され、手を振られた。
日本館にお立ちよりになった皇太子さまは、六七年に御来伯された皇太子殿下美智子妃殿下(当時)お手植えの記念の松と、九五年の清子内親王殿下(当時)のご来伯を記念して建立された「日伯修好百周年記念植樹之碑」をご覧になり、館内の池を臨む廊下にむかわれた。
西林万寿夫在サンパウロ総領事の案内で、廊下で待機していた文協創立メンバーで現評議員の原沢和夫さんが皇太子さまに紹介された。皇太子さまは原沢さんに手を差し伸べられ、原沢さんは緊張と感激の面持ちで握手し、数度頭を下げた。皇太子さまは池にむかって、四度ほどエサを投げられた。
続いて館内で特別展示されている「手島泰六書展」の展示作品を一つひとつご覧になり、作者の手島氏にご質問された。皇太子さまは「魁」「光」と書かれた作品について「どのような墨をつかっていますか」と尋ねられ、手島氏はそれぞれ「中国宋時代の古木と茶墨を使いました」などと答えた。
皇太子さまは館内の所蔵展示作品の数々をご覧になったあと、お車にむかわわれた。沿道には両側にびっしりと日系人や非日系人が並び、皇太子さまは両側を歩いて、握手などをなされた。ボーイスカウトの一人に「なにをされているのですか」とご質問をしている一幕もあった。
皇室と縁戚の関係に当たる多羅間俊彦・東京都友会名誉会長は、日本館入り口の門で皇太子様とあいさつし、「両陛下からよろしくとのことでした」と声をかけられ、軽く会釈を交わした。
与儀昭雄会長は「慰霊碑に対して手を合わせていただいたことが大変大切なこと。諸先輩たちをいつも忘れていないことを嬉しく思う。本当に優しくて、お会いできて嬉しかった」。長友副会長は「二十六年前にきていただいたことを覚えていてくれた。慰霊碑についての説明をして、皇太子殿下は真剣に聞いていただいた」と振り返った。
ネッカチーフを皇太子殿下に手渡した北海道県人会のボーイスカウトの会長を務める南パウロ・トシオさん(48、二世、北海道)は「皇太子殿下もボーイスカウトをしていたことを知っていたから渡す計画をしていた。笑顔で受取っていただいて、大変感激している」と興奮覚めやらぬ様子。
ボーイスカウトの一員の高田チシアネさん(15、三世)は「皇太子殿下が通られたので、自分たちの名前を書いたネッカチーフを手渡した。手渡す計画はしていなかったし、会えるなんて想像もしていなかった」と感激した様子で話した。