ニッケイ新聞 2008年6月14日付け
一昨年に創立五十周年を祝った沖縄県人会ビラ・カロン支部で現在、五十周年記念誌の編集作業が大詰めを迎えている。日ポ両語、それ以外には漢字にルビをふった五百二十ページの大著。既に編集作業を終えて印刷に入っており、同支部では六月十八日の発行を目指している。七月二十日には出版祝賀会を開く予定だ。
沖縄系の縫製業発祥の地であり、今では県人会四十四支部の中で最大の支部に成長したビラ・カロン。現在の会員数は四百三十家族、約二千百六十人で、県系人全体では約五千人が暮らしている。
上江田幸明(創立時の顧問)、小橋川蒲助(初代支部長)氏ら二十七人の会員で創立された同支部。フェイラでの既製服販売から、その後、県人による縫製業が始まった。国内からの転住者に加え、六〇年代にはボリビアの転住者が同地へ移り、家族で従事しながら生活の基盤を作っていった歴史がある。
先住者が素人の新来者の面倒をみ、仕事を教えて独立させる。中でも上江田氏は世話好きとして知られており、編集委員の宮城あきらさんによれば、「『チュヌクトゥサー(人のために尽す人)』と呼ばれたそうです」。
世代は替わりつつあるが、同地では現在も、建材や化粧品、縫製業などの分野で県系の同業者同士がグループを作り、事業を展開している。あきらさんは「先人の助け合いの精神は今も受け継がれている」と話す。
同支部としては二十周年以来となる記念誌編纂。宮城調智編集委員長は、「二十周年の時はまだ支部の活動範囲も狭かったが、現在では大きく発展している。移民百周年、支部創立五十周年の節目に出版できるのは意義深いこと」と話した。
記念誌は全十部に分かれ、創立からの歴史、活動、支部県系人の活躍、寄稿などのほか、一作年の五十周年式典行事の写真グラフ、会員住所録などからなる。
中でも支部の歴史を辿る第一部では、これまで一九五〇年代初めと思われてきた同地への移転が、実は四六年までさかのぼることが分かるなど大きな発見もあった。
大雨の被害で資料を紛失していることもあり、支部の先達やボリビアからの転住者、婦人、芸能関係者による座談会も多数行ない、生の言葉で歴史を記録している。
編集にあたっては、二世の新崎マリオ支部長(第二十五代)の提案により、支部の歴史を概観する一部一章から三章までを日ポ両語で記載。それ以外の部分には漢字にルビを振った。二世、三世も読めるようにとの配慮からだ。
「日本語を一年勉強すればカナは読めます。二世が読めれば次の世代に伝わる。記念誌の値打ちが生きてくると思います」と新崎さんは強調した。
一千百冊を発行し、支部会員や関係団体に配布する。五十周年当時支部長を務めた高安宏治さんは、発行にあたって協力を受けたレアル銀行(当時・スダメリス銀行)、関係者へ感謝の意を表した。