ホーム | コラム | 樹海 | 《記者コラム》お経のポ語訳はあるのに、なぜ日本語訳はないのか

《記者コラム》お経のポ語訳はあるのに、なぜ日本語訳はないのか

 「ブラジルから仏教を再興したい」―本門佛立宗が13日に行なった平和パレードで、そんな頼もしい声を聞いた。最初は「なぜ仏教が街中を行列?」と違和感があったが、林立する旗を見ていて「一種の一揆だ」と合点がいった。戦国時代などに日蓮宗は法華一揆を行った。「平和を訴える一揆」だと思えば、むしろ本来のあり方かもしれない。

 バイーアのカーニバルのような音響車が先頭に出て、ポ語で茨木日水上人の唄を歌い、時折「ナムミョーホーレンゲキョー」と混じる。日本では檀家と一緒に大規模な街頭行進をすることはないとかで、若手僧侶ら45人が日本から体験しに来た。非日系のコレイア教伯教区長率いる当地の佛立宗は一つの模範のようだ。

 そこで思い出したのが、日本でお経を聞いても意味不明だが、当地でポ語版を聞くと意味が分かる違和感だ。なぜお経は現代日本語で読誦されないのかと疑問に思ってきた。どんなに有難い経文でも意味が伝わらなければ、ただの音だ。

 当地佛立宗はいち早くポ語訳したことで、ブラジル人向け普及に弾みをつけ、ブラジル人僧侶も多い。佛立宗開祖の長松清風(日扇上人)は、分かりやすく御仏の教えを広めようと「御教歌」と呼ばれる仏教の教義を和歌へ盛り込んだものを作った。その精神がポ語のお経として活きている。

 分からせるための努力を自国ですら怠る宗教が、世界布教することは不可能だろう。現代語訳しない日本の仏教界は、外国に住む日本人からすれば頭が固すぎる。

 平和パレードを興味深そうに街頭で見るブラジル人を見ながら、当地で西洋文化圏でも通用するように普遍化されたものなら「仏教再興」が可能かも―と夢想した。(深)

★2014年9月16日《ブラジル》本門佛立宗=ブラジルから世界平和訴える=東洋人街で平和パレード=木村導師「世の中に一石投じた」