ニッケイ新聞 2008年6月11日付け
「この責任は全て私にあります」。約二十日間滞在した日本から先週帰国した北川彰久さんは、七日晩、ブラジルNAK(日本アマチュア歌謡連盟)の会合を佐賀県人会館で行い、会員約四十人の前で、五木ひろし招聘が失敗に終わった件を一時間以上に渡って説明し、そう締めくくった。
「全てはブラジルへのご恩返しの気持ちからやったことだった。五木ひろしさんの歌を心待ちにしていたコロニアのみなさんに、本当に申し訳ないと思います。私の独断専行でやったことではなかったということは分かって欲しい」と語り、涙をこぼした。
五木ひろし側は、自分の出演費はいらない、妻と子供三人を自費で連れてくる、と申し出ていたと報告し、「それなのに、百周年協会側はプロとしての扱いをしてくれなかった」とのべ、百周年協会が松尾治執行委員長名において三月十六日付けで五木プロに宛てた文書を二度、読み上げた。
そこには、君が代は「あくまでコーラスの一員として歌っていただくものであり、コーラスをバックにした独唱ではありませんので、個人的なハンドマイクの使用についてはご遠慮いただきます様お願い申し上げます」と条件を付けていた。
その理由として「コーラスや観客席の人々の歌声が等しく皇太子殿下まで届くように、特定の歌手が個別のマイクを持たないということで、全員の一致で決定しました」と書いてある。
北川さんは「これはコロニアの総意、常識だったのでしょうか。日本を代表する歌手に、歌の功績で紫綬褒賞までもらっている人に、マイクを持つなというのはプロとして扱わないということ。これでは事実上断るに等しい」とし、「この手紙さえなければ来ていた」と無念そうに語った。
続けて、北川さんは「でも、松尾さんもこのようなことを書かざるを得ない事情があったのでしょう」と推量する。「とにかく、私も含めた現地の受け入れ体制が残念ながら整わなかった。五木さん側の協力体制は十分だった。五木さん側もこんな事態になってしまい残念に思っていると聞いています」という。
北川さんが日本の大物政治家にお願いした一件が外務省や総領事館とのあつれきを生んだことを認め、「誰のことも悪く言いたくない。日本側で五木ひろしさんと交渉してくれていた小西良太郎さんとも話をしました。すべて私の不徳の致すところです」と自ら結論付けた。