ニッケイ新聞 2008年5月28日付け
短波ラジオ愛好家の平原哲也さん(50、東京都)が日系ラジオに関する取材のため来伯、サンパウロ州リベイロン・ピーレス市のラジオ局で今年放送を始めた日系番組「プログラマ・ニッケイ」でアナウンサーを務める丹治幹男さんや元女性アナウンサーらに取材、五日に帰国した。
平原さんと日系ラジオの出会いは、海外の短波放送を聞くのが趣味だった中学生のとき。「現地の日本人に向けた日本語ラジオがあるのか」と興味を持った。
のめり込んだのは、二〇〇〇年にあった愛好者の集い。メンバーの一人が世界各地の日本語放送を紹介、『コロニア芸能史』で元アナウンサーの内海博さんが執筆した「華やかだった日語放送」のコピーを配布した。
「自分だけ知っていると思っていたのにショック」とマニア魂を刺激されたのと同時に、「調べればもっと情報があるのでは」と思い立つ。以後二年間、国会図書館で邦字紙から関連の記事、広告を拾い上げる作業に取り組んだ。
「十歳でアナウンサーになったという記事もあった。移住地の文協などで日本語の上手い子供だったのでしょうか」と笑う。その背景である日系社会にも自然と関心を持った。
〇三年には、現地取材の必要性を感じ、内海さんを介して元ラジオ関係者に取材、ほぼ毎年来伯、今回で五回目となる。
サンパウロのみでなくロンドリーナ、プ・プルデンテ、マリリア、バストス、モジ・ダス・クルーゼスなども歩き、約三十人を訪ねた。
これらの取材や証言をまとめた本を百周年の今年、自費出版する計画だったというが「調べだすとキリがなくて」来年になりそう。
日系ラジオの最盛期は、五〇年代後半。新聞記事などによると、七〇年代から、元アナウンサーなどの死亡広告などが目立つようになってきたという。
「実際、私が話を聞いた元アナウンサーで、最近亡くなった方もいる。今聞いておかないと」と話し、今まで語られなかったコロニアの歴史を残す意気込みに燃えている。
元アナウンサーの方、日系ラジオに関する情報をお持ちの方は、本紙編集部(電話=11・3208・3977、堀江)まで。