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前代未聞の記念硬貨作り直し=財務省=権利持つ彫刻家と交渉決裂=日本メディア一斉に報道=食い違う両者の言い分=どっちが本当なの?

ニッケイ新聞 2008年5月1日付け

 鋳造を終えた記念硬貨を作り直すという前代未聞の発表が四月三十日、日本の財務省からあり、日本のメディア各紙が一斉に報じている。これは百周年を記念して、すでに四百八十万枚の鋳造を終えていた五百円記念貨幣の図柄に、著作権の問題が発生する恐れがあることが判明し、急きょ全て作り直すことになったもの。当初予定されていた図柄は、県連が移民九十周年を記念してサントスに設置した「日本移民上陸記念碑」だったが、その著作権を持つ彫刻家が同意しないため、「笠戸丸とブラジル」に変更された。今回の騒動の関係者に話を聞いた。
 昨年四月に発表された当初は、表には「日本移民上陸記念碑」を使用し、今年の三月頃からの引換えを予定していた。しかし、今年に入ってから四月から六月の間へと延長されていた。
 日本からの報道によると、今回の作り直しには鋳造やり直しの電気代などに五百万から一千万円の追加経費がかかり、機械の減価償却費や人件費も計算に入れると、計算上は約七千万から八千万円の損失になるという。
 移民九十周年を記念して設置された同記念碑。県連でデザインを公募し、集まった作品の中から本永群起さん(元ツニブラ専務)の夫婦像の作品が選ばれた。建設委員会により、あとから夫婦の間に子供が付け加えられた。
 当時の県連会長、網野弥太郎顧問によれば、サンパウロ市内で彫像を制作している彫刻家のクラウジア・フェルナンデスさんに制作を依頼したが、その時に著作権に関する明確な取り決めを交わさなかった。
 網野顧問によると「設置した当時は、著作権などの問題なんて考えなかった。まさか十年後にこのような形に使うなんて思っていなかったからね」と当時を振り返る。また、「除幕式を行ったときに所有権はサントス市に譲ったと思っている」と県連には所有権がないことを強調。「その彫刻家が三百万レアルを要求しているとの話も聞いた」と語った。
 山田康夫県連副会長は「記念貨幣の製造は話を聞いていたが、県連執行部としては話を知らなかった。記念碑に関しては、あくまでも県連は管理のみ」と距離を置く。
 ただし、事実としては、独立法人造幣局の理事長宛てに約二年前、図柄の使用を許諾する内容の文面を、松尾治氏(当時県連会長)の名前で送っている。今となっては、果たして県連にその権限があったのか疑問が残る。
 松尾氏が執行委員長を務める百周年記念協会から依頼され、今回の交渉を担当していた大原毅弁護士は「今年の二、三月頃に数回話し合いを行った」と経緯を話す。「本人が来ないので相手の弁護士と話し合いを行った。相手側からは『考えてみる、考えてみる』と正確な回答が得られなく、話し合いが行えなかった」と説明。
 関係者筋によれば、「交渉で約四百万ドル請求された」という話もある。
 大原氏をサポートした渡部和夫元判事は「記念碑は一般の人が写真を撮ったりして金儲けをしていない状況では問題ないが、商売となるとまた別の話。でも、今回の場合は日伯交流の一環だから問題ないのではないか」と見解を示した。
 再鋳造について日本のメディアが軒並み報じた。三十日付け朝日新聞インターネット版によれば、「県人会連合会が彫刻家を説得した。しかし、『感情的なもつれで理解が得られなかったようだ』(財務省)という」とある。
 これについて、フェルナンデスさんに直接確認したところ、「私はお金など要求していない。ただ一つの条件は、私の名前をもっとリリースなどで使って欲しいということ。私のデザインが日本の硬貨に使われることは大変光栄。ぜひとも使って欲しい」と反論した。
 在サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席は「今回のことに関しては、県連が前面に立ってやっている」と総領事館が直接の当事者でないことを強調。ただし、財務省との間を取り持つ関係で報告は聞いていたという。「最初から彼女が今言っている通りだったら、とっくに話しはまとまっていた。折り合いがつかなかったのは残念」と話した。
 なお、日伯記念貨幣の引換え開始日は六月十八日に変更された。