ニッケイ新聞 2008年4月18日付け
サンパウロ市アクリマソン地区のアパートに一人で暮らす河添美千栄さん(87、一世)は、息子夫婦や孫夫婦が集まり、毎年十月に開く合同誕生日会を楽しみにしている。毎年十五人ほどの一族があつまり、賑やかだ。
誕生日会はかれこれ四十年近く欠かさず継続している。十月八日が美千栄さんの誕生日。孫二人と孫の夫も同じ十月生まれであることから、いっしょに誕生日を祝うのが慣わしだ。「母の日」やナタールでの集いも毎回写真を撮りため、アルバムに保存している。
兵庫県生まれ、岡山県倉敷市育ち。倉敷高等女学校(現・倉敷青陵高校)を卒業後、先にアリアンサ移住地で商売していた父親の招きで、三八年にブラジル移住した。十九歳のときだ。
二年後、ブラ拓の職員として移住地に赴任した亡き夫・清さん(一世)と知り合い、結婚。清さんは南米銀行に勤めながら、三十代からブラジルの公立中学校に通い大学まで卒業した。往年の邦字紙が「晩学の鑑(かがみ)」と称えて報じた人で、コロニアでも知られた人だった。
晩年、公証翻訳人として活躍した清さんは、十年ほど前に病気で他界。「変わりものの夫だったけど」と懐かしそうに微笑む。夫の写真や書類は今もきれいに保存している。居間には二人の写真がそっと置いてある。
毎年の誕生日会には、清さんも参加し、数々の思い出をいっしょに残してきた。息子や娘夫婦はそれぞれの分野で活躍し、独立している。夫がなくなって以来、一人暮らしだ。
「いずれ子どもたちの世話になるかもしれないけど、出来るだけ足手まといになりたくなくて」と美千栄さん。今年で米寿。「せっかくだから家族をもっと呼んでお祝いしたいですね」。孫六人、曾孫五人。