ホーム | 日系社会ニュース | 沖縄県人移住百周年=母県から初のチャーター便=沖縄ツーリストが企画=4百人が伯・亜の式典に=「南米との架け橋になりたい」

沖縄県人移住百周年=母県から初のチャーター便=沖縄ツーリストが企画=4百人が伯・亜の式典に=「南米との架け橋になりたい」

ニッケイ新聞 2008年4月16日付け

 今年八月の沖縄県人ブラジル移住百周年祭典に向け、沖縄ツーリスト株式会社(本社・那覇市)が日本航空機をチャーターして訪問ツアーを企画している。民間のチャーター便としては一九五八年の日本移民五十周年に続いて二度目、沖縄からの直行便は初めてとなる。
 八月の祭典には、沖縄はじめ南北アメリカなど、世界各国から一千人の来伯が見込まれている。同チャーター便のツアーはブラジルと、同じく八月に県人移住百周年式典を行なうアルゼンチンを訪れるもので、定員は約四百人。沖縄からは全体で六百人程度が来伯すると見られる。
 「ブラジル・アルゼンチン移民百周年記念式典参加南米訪問団」は八月二十一日に那覇空港を出発、ロス経由でサンパウロ入りする。所要時間は約二十五時間。
 訪問団は二十四日まで滞伯して前夜祭パレード(二十三日)、記念式典(二十四日)などに参加したのち、国内、南米諸国の親戚訪問など自由行動。その後ブエノスアイレスで式典に出席し九月二日に帰国する。料金は五十九万八千円~八十四万八千円。
 現地視察のため来伯、十一日に県人会本部で会見した島袋均・同社海外企画部次長によれば、県・市町村関係者のほか、二百人程度の一般訪問客を予定しているという。
 島袋次長は「九十周年、九十五周年式典の時にはブラジル航空会社の直行便がありましたが、太平洋路線を取りやめた現在では座席を確保するのが困難」と経緯を説明。
 さらに「着るものも食べるものもなかった戦後沖縄の混乱の中、ブラジル、アルゼンチンの県人会からも救援物資を送っていただき、復興に尽してもらった恩義があります。百周年の節目にお礼をかねて皆でお祝いに行こうと、今回のツアーを企画しました」とチャーター便の意義を強調した。
 チャーター料は一億五千五百万で、ヨーロッパ向けの約三倍の値段。「採算についてはそれほど考えていない」という島袋次長。「それ以上に、南米全体に恩を返す架け橋になりたい」と話す。「以前の訪問団が持ち帰ったイペーが根付き、沖縄各地で花を咲かせています。私たちは人間を連れてきて花を咲かせたい」と意気込みを語った。
 同ツアーは、沖縄ツーリストと県旅行業協同組合など「オール沖縄で取組んでいます」と島袋次長。すでに顧客には通知、二十一日には県庁記者クラブで会見し公式募集を開始する予定だ。
 迎える側の与儀昭雄ブラジル沖縄県人会長は「ありがたいこと。立派な百周年式典を行い、これから新しい百年に向けて立派な関係を作っていきたいという気持ちです」と喜びを表した。
 島袋次長は県人会関係者との打ち合わせのほか、ジアデマ市の記念式典会場、前夜祭の行われるサンパウロ市ビラ・カロンなどを視察後、ブエノスアイレスに向かい、帰国した。