ニッケイ新聞 2008年4月3日付け
市長選にフラ・フィーラの延長・完成を訴えたいカサビサンパウロ市長にとって、昨年の地下鉄工事事故に次ぐ汚点ともいえる事故が発生し、交通も混乱したと二日付け伯字紙が一斉に報じた。
事故が起きたのは三十一日二十三時三十分ごろ。フラ・フィーラで知られるバス路線エスプレッソ・チラデンテス(イピランガ~シダーデ・チラデンテスを結ぶ構想)のヴィラ・プルデンテ地区工事現場で、タマンドゥアテイ川をまたぐグランデ・サンパウロ橋上を通る高架橋の橋板(長さ八十メートル、重さ八百トン)が傾き始め、グランデ・サンパウロ橋をふさぐ形で停止。時間帯とゆっくりと傾いたことが幸いして、けが人などは出なかった。
しかし、翌日、市内東部やABC地区からイピランガ地区、中心部に向かう車やバスは迂回を余儀なくされ、付近の交通は大混乱。傾いた橋板の修復作業が終り、グランデ・サンパウロ橋開通まで十九時間余り。交通整理や誘導だけで百八十人もが投入されたが、バス路線の利用者四万二千人始め、アイルトン・セナ道やフェルナン・ジアス道を利用するトラックなど、多くの人が影響を受けた。
今回の事故は、橋脚上の橋板のバランスが何らかの理由で崩れたために起きたと見られているが、橋板を元の位置に戻すために使われたコンクリートは四十トン。計画~実行のどの部分の問題かは不明だが、全体を見る監督がいれば容易に防げたはずだという。
昨年の地下鉄工事事故では、三月になって、事故当時は計画以上のペースで工事が進められていたという説と、トンネル上に巨大な岩があり、雨水の浸透などで緩んだ地盤の重みをトンネルが吸収できなかったという説の二つが相次いで出されたが、今回の場合は人為説にならざるをえない。
このフラ・フィーラ計画は、一九九六年の市長選でピッタ氏が提唱したもので、以来、計画の変更が相次ぎ、その資金額に比して工事の進行が遅いなど、着工後も問題が多い。
今回の事故現場はカサビ政権になって決まった延長部分。さらに、二十六日には市長と現場責任者との間で開通式日程をめぐるやり取りがあったといい、選挙戦日程をにらんだ市長の思惑にそって突貫工事を行おうとしたためのミスの可能性も取りざたされている。
インターネットには、現場付近を通る度に不安を感じていたという市民の書き込みもあり、最優先課題の安全性という部分に何らかの欠けがあったといえる。
交通量の多い時間帯ではなかったことがせめてもの幸いだが、水増し請求、手抜き事故といった疑惑も含めた原因解明と、管理責任の明確化、安全面の最優先などが求められている。