ニッケイ新聞 2008年3月19日付け
ニッケイ新聞では編集部独自の百周年記念事業として、毎月一つの特別連載《百年の知恵》を掲載している。その主旨は、「ブラジルでは〃移住〃という壮大な民族的な実験が行われている」との認識を、様々な切り口から紹介するものだ。第一回は、笠戸丸のはるか前である一八九〇年に渡航し、帰国後の生涯をポ語辞書編纂に捧げた「大武和三郎~辞書編纂と数奇な生涯~」全十二回を掲載した。第二回の「日系人とバイリンガル」では、移民の家庭のなにげない日常における多言語環境の意味、日系人のアイデンティティ形成、共同体の意義などを再評価する取り組みだ。なにも、勝ち負け紛争のような社会的大事件だけが注目に値するものではなく、移民の生活経験そのものが日本にとっての〃含み資産〃だとの観点からとらえ直してみたい。(編集部)
日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る=□第1部□日系社会の場合(1)
移民は家庭生活において、「日本文化や日本語をどのように子供に教育すべきか」、もしくは「日系人の理想像とはどうあるべきか」と常に模索してきた。移民家庭の子弟教育は、単なる家庭内での営みを超えて、実は日本文化をどう外国に広めるかを考えることと同義であり、実はとても国際的かつ深淵な課題をはらんでいる。移民の何気ない日常には、実は「多文化共生」や「バイリンガル」(二言語)などの現代的なキーワードが内包されている。どこの家でも子弟に高学歴を与えるべく頭を悩ませてきたが、その成果はどうであったのか。日系人の本来の意味を、バイリンガルという視点から再評価し、言語面における移民の《百年の知恵》の一端を探ってみたい。
壮大な民族的実験の成果=日系人の本当の価値とは何か
二〇〇七年九月、国際交流基金サンパウロ日本文化センターが主催するパイリンガルセミナーで、上智大学の坂本光代准教授はカナダへの日本人移住者に関する研究成果として、日本語継承は三世で途絶えるという発表をした。一世は日本語だけのモノリンガル(一言語)、二世は日英のバイリンガル、三世は英語だけのモノリンガルになるというものだった。
ふと、まわりを見回してみると、三世でも日本人と見間違うような日本語の達者な人もいるし、ここ数年増えてきたデカセギ帰伯子弟などは四世でも日本語のモノリンガルになっている場合すらある。
どうも、ブラジルの日系社会事情は北米と少々異なるようだ。
それに加え準二世(子供移民)、帰伯二世など実に多彩な〃ジャポネース〃がいる。いわゆる「日本人」とか「日系人」という言葉では、単純に割り切れない人格や能力、生活習慣を持った人がブラジルにはたくさんいる。
例えば、百周年記念協会の上原幸啓理事長は、ブラジル人に対し、いつも「私は日本で生まれたブラジル人です」と自己紹介する。家族に連れられて九歳で移住してブラジルの学校で学び、最高学府での教授職を半世紀に渡って続けた彼の人格形成について、実に核心をつく表現であり、その意味するところはじっくりと吟味する価値がある。
そのような〃ジャポネース〃たちを理解するには「国籍」だけでは測れない。まったく実情とズレする恐れがある。
「生まれ(生育環境)」「母語(第一言語)」「現在の言語環境」「帰属意識」「血統」「宗教」などの各属性が、どのていど日本、もしくはブラジルに偏っているかを分析しないと理解できない。
つまり、「日本人」と「ブラジル人」の間には、これら属性の無数の組み合わせ、バランスいかんで、無限ともいえる人格の多様性が秘められている。そのような日系人の中には日ポ両語のバイリンガルが、二世を中心に十数万人はいるといわれる。世界中探しても、そのような人材を抱える国はほとんどない。
これら百五十万の日系集団は、独自の「日本語文化圏」ともいえる共同体活動を行ってきている。これは麻生太郎外務大臣(当時)が昨年八月に来伯したとき、「日系社会は日本の含み資産」と表現した価値の本質そのものだ。
外国人就労者が激増する日本では、ようやく「異文化共生」「多文化主義」といった言葉が、時代のキーワードとして聞かれるようになってきたが、移民の生活は百年前からその連続だった。移民ほど、日本語と文化について真剣に考えてきた庶民はいない。
日本移民は、なんの手がかりもない中で、どう日本語や日本文化を子孫に伝えるかを百年間、試行錯誤してきた。いまこそ、その成果を再評価してもいい。これこそ「百年の知恵」に他ならない。
(つづく、深沢正雪記者)