ニッケイ新聞 2008年3月6日付け
最高裁は四日、幹細胞の医療研究または人間以外の幹細胞利用の容認を巡って合法性を審議した。しかし、結論に至らなかったことでルーラ大統領は「人類は、人間生命を救う医療の研究を無視することはできない。個人的には幹細胞の研究継続を支持する」と述べた。検察庁の見解では、連邦令が幹細胞を一人の生命と見なしているという。医療関係者は、一人の生命として完成した人間と幹細胞を同一視するのは、誤りだと訴えた。
難病患者には溺れる者のわらといわれる幹細胞治療の研究は、科学と宗教の狭間で頓挫している。元検事総長のフォンテレス氏が、カトリック教会の立場で幹細胞の研究容認は、やがて中絶の容認につながるものだと警告した。
バイオ法が定めた受精卵でなく三年以上冷凍した幹細胞の使用は事実上、医療の研究を留めた。そのようなバイオ法が制定された二〇〇五年、学会や有識者との討議を経ることなく抜き打ちの策略的手段で法令の承認に持ち込んだ。
多くの難病患者が、テンポロン保健相とジェンロ法相に伴われ最高裁で証言を行うために訪れた。「宗教のドグマは、人間を生かすものなのか殺すものなのか」と彼らは訴えた。
地動説と天動説で争った中世のようなドグマ論争が、起きている。法曹界は、宗教関係者会議ではないのに公衆の会議でドグマを論じるのは非論理的だという。いまは論理として幹細胞の是非を討議すべきだとしている。
科学と宗教は、相容れないものではない。宗教は千年以上の経験から結論したものだから尊敬に値する。しかし、それで民主主義の現在、国家を束ねることはできない。宗教は個人的に必要なもので、一般大衆を宗教の枠にはめ込むことはできないと五日付けフォーリャ紙が論評した。
幹細胞は生命の尊厳に関することで、世論などの低次元で論じることはできない。最高裁は生物的生命と社会的生命について審議する。バイオ法は幹細胞の研究を禁じたのではなく、条件付で制限したらしい。今回の最高裁審議は、同研究の合法性を問うのだ。