ニッケイ新聞 2008年2月28日付け
昨年、ブラジルで初の聖人となったフレイ・ガルバンが一七七四年に建立した修道院で、二〇〇年前のものと思われる二体のミイラが発見されたことが、二十七日付け伯字紙に報じられた。
発見されたのは、サンパウロ市ルス地区にあり、現在はカトリックに関わる神聖な美術品の博物館でもあるルス修道院。シロアリ退治のために壁を崩し始めた二日の日に一体目のミイラの一部が見つかり、遺体を覆っていた土などを取り除く作業を行っているうちに二体目も発見された。科学者らによる調査のために建物の壁に作られた納骨堂が開示された二十二日まで、この発見は秘密にされていた。
考古学者らは、この二体は別々に葬られたものとみており、科学的な分析と共に古文書の調査を始め、遺体の身許と死因を特定したいとしている。
最初に見つかった遺体は、皮膚も残っており、胸の部分で祈りの姿勢に組まれた手の三分の一とはいていた靴も形が残っていた。この遺体の肩に頭を乗せる形で発見された遺体は、最初の遺体に比べて損傷が大きいが、いずれにせよ、二〇〇年近い年月を経た遺体がミイラの状態で見つかったことは珍しい。
壁の納骨堂は、漆喰で作られたもので、遺体そのものは粘土で覆われた上から、更に土と石灰を混ぜたもので覆われていた。
通常、人体がミイラ化するには、バクテリアによる腐敗が進まないような乾燥した環境が必要。ルス修道院の壁には更に五つの納骨堂が作られているが、ミイラが発見された時に一部が開けられたもう一つの納骨堂は当面封鎖され、他の四つの納骨堂内はレーダーによる調査の後、開けられることになっている。
修道女たちの身許と死因が判明するまでには時間を要すると思われるが、一八二二年のフレイ・ガルバン召天までの間に修道院内で死んだとされる一二九人の遺体は、修道院内に埋葬されていたといい、地中に埋葬できなくなったために壁の納骨堂が作られたとみられている。フレイ・ガルバンの死後は修道院の外に埋葬されるようになった。
サンパウロ・カトリック総合大学のアンジェラ教授によれば、古い教会の壁から遺骨が見つかったことはあるが、ミイラ化した遺体の発見は初めて。熱心な信者の中には、遺体がミイラとなって発見されたことをフレイ・ガルバンに触れられた奇跡、または修道女たちの聖化された命の証しとみる人もおり、同修道院が新しい巡礼地の一つとなる可能性さえあるという。