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殺し屋達の暴行許すまじ=サンパウロ州知事も存在認める=麻薬をめぐる袖の下や恐喝も

ニッケイ新聞 2008年2月23日付け

 サンパウロ市北部の軍警第一八師団の警官らを中心とした殺人者集団があることは十四日既報だが、二十二日付け伯字紙が、軍警らの逮捕が一〇人に及んだことと、サンパウロ州知事が彼らの暴行を捨て置くことは出来ないと宣言したこととを報じた。
 十八日付けエスタード紙によれば、コーバス知事時代の九五年にも、既に、一五件の大量殺人で八一人の犠牲者が記録され、かなりの部分に警官が絡んでいるとみられていた。この時点で、第一八師団絡みの捜査が始められたが、当時は問題のある警官を他の師団に配置転換するのみ。ある将校は「これが集団を成長させ、拡大させた」と言う。
 この集団の動きが表面化したのは、昨年二月一日。パリオ車で乗り付け、警察を名乗ったメンバーが、「あちらを向け」と命じた後に銃を乱射し、六人の青年が殺害されたが、これは軍警がコントロールしていたスロットマシーンから盗もうとした青年殺害を目的としていたとは二十一日付けフォーリャ紙。機動隊にあたるROTAのメンバーも邪魔が入らないよう近くに待機していたという。
 この時使われた銃とパリオ車が使われ、ROTAが待機、さらにバイク二台も加わって、二人を殺害、七人がけがという事件は一一日後。この事件の生存者の一人は、今年の一月二十二日に他の二人の青年と共に殺害されたが、ROTA隊員による報告書には、この青年が二人を殺害した犯人で、ROTA隊員が捕まえようとしたところ抵抗したため射殺と記されていた。
 また、十六日のエスタード紙は、昨年五月二十四日の大量殺人で、犯人として警官らに射殺されたとされていた二人は、当日午後警官らにより拉致され、事件のカモフラージュのために殺害されたものと報じた。
 その後も、六月二九日に起きた六人殺害の事件で使われた銃は、一月十六日の大佐殺しに使われたものと一致し、九月十日に麻薬密売人の母親殺しの犯人が使ったバイクと銃が、大佐殺しでも使われているなど、いくつかの接点が浮かび上がってきている。
 大佐殺しと大量殺人事件の捜査を担当している殺人犯罪・人身保護担当課(DHPP)や軍警司法官は、二十一日までに第一八師団七人、第九師団三人の計一〇人を逮捕した。
 二十日のエスタード紙では、大佐の未亡人が、大佐は大量殺人だけではなく、軍警とスロットマシンに絡んだマフィアとの関係や、マフィアから市内全域に渡る警察への袖の下の問題なども調査していたことなどを語ったと報じていた。
 十八日付けエスタード紙には、同じ第一八師団軍警によるロタソン運転手の恐喝、殺害未遂なども報じられ、逮捕された夫婦は給与にふさわしからぬ財を蓄えていたと報じられたが、権力や職責を隠れ蓑にした暴行は許されてはならない。