ニッケイ新聞 2008年2月22日付け
日本政府の要請による国外犯処罰(代理処罰)の二つの裁判が二十一日午後、サンパウロ市内でほぼ同時に行われた。共に殺人容疑の逃亡犯であり、日本関連のメディア関係者を中心に約五十人が詰めかける緊迫した雰囲気の中、注目の法廷が進められた。特に、一昨年末に静岡県焼津市で起きたブラジル人母子三人殺害事件のエジルソン・ドニゼッチ・ネベス被告(45)の裁判では、当日に同被告の双子の兄エルソン氏が弁護士につき、そのアドバイスからか「黙秘する」などと罪状認否を拒否する態度で終始した。傍聴のために来伯した被害者遺族の三崎コウイチさんは「ディスグラッサード(人でなし)」と無念のあまり声をあらげた。
〇六年十二月に静岡県焼津市で起きたブラジル人母子三人殺害事件で、サンパウロ州検察庁から起訴・逮捕されたエジルソン・ドニゼッチ・ネベス被告(45)の初公判が二十一日午後二時半、サンパウロ市バラ・フンダの第一陪審法廷で開かれた。
まずアルベルト・アンデルソン・フィーリョ裁判官が起訴状の内容を読み上げた。裁判官と共にマルセロ・ミラニ検事も質問に加わったが、被告は終始うつむいたままで、「黙秘する」などと罪状認否を拒否した。時折、弁護士である兄から目線で指示を受け、ほとんど証言をしなかったため、わずか二十分で終了した。
ネベス被告は〇六年十二月、当時交際していたブラジル国籍の女性派遣社員、ソニア・アパレシーダ・ミサキ・フェレイラ・サンパイオさん=当時41歳=宅で、三崎さんとその次男を殺害、さらに自宅で長男を殺害した疑い。
閉廷後、アンデルソン裁判官は、三十日間ぐらいで日本にカルタ・ロガトーリア(嘱託訊問)の発送手続きが始まり、それが戻ってきてから、弁護側証人喚問、判決になる予定だと説明した。
日本の特派員らに加え、ブラジルメディアも集まり、総勢五十人近い報道陣が集まり、関心の高さを伺わせた。
一連の代理処罰要請では三件目。同公判とほぼ同時刻におこなわれた松本市の強盗殺人事件の公判を含めて、現在日本政府から要請されている四件の代理処罰要請の公判がすべて始まったことになる。
一方、〇三年に長野県松本市で起きた強盗殺人事件のジュリアノ・エンリケ・ソノダ被告(29)の件は、メディアを閉め出した密室裁判となった。
三崎さん自費で傍聴に帰伯=「まるで反省していない」
被害者のソニアさんの元夫で、二人の息子の父親である遺族の三崎コウイチさん(サントス出身、47)も、静岡県浜松市のNPO組織「国外逃亡犯罪被害者をサポートする会」から五万円の旅費支援を受け、日本から自費で駆けつけた。
裁判開始前に多くの取材陣に囲まれ、「なんで子供まで殺さなきゃならなかったのか、自分の耳でその理由を聞きたかった」と傍聴にきた理由を述べた。
開始直後にネベス被告が入廷したとき、ミサキさんは涙を流しながら「ディスグラッサード」と怒りの声をあげた。
裁判後、黙秘を貫く被告に対し、「悔しい。何を考えているのか分からない。何も反省していないみたいだ」と悲しみを滲ませ、「できることなら私が殺したいぐらいだ」と無念の表情を浮かべた。判決が下る裁判にも来るつもりだと語った。
三崎さんの友人で、たまたま治療のために帰伯しているイベッチ・マリア・タカノさん(56、二世)も傍聴に訪れ、「ソニアは働き者で、良い母親だった」と語り、三崎さんを慰めていた。