ニッケイ新聞 2008年2月13日付け
【既報関連】「応募してくれた方、本当にごめんなさい」――。移民百周年協会の記念マスコットの選定方法を巡り、マスコット選考委員会の一人、山内エリカさんは頭を何度も下げてそう謝った。同件は同協会が過去二年間、三回にわたりマスコット公募を行いながらも、応募者に対して選考結果などの連絡を全くせず、著名なブラジル人マンガ家のマウリシオ・デ・ソウザ氏のマスコットを突然発表したもので、その百周年協会のやり方について二百人にのぼる応募者などから不満が出ていた。山内さんは八日午後、百周年協会事務所で一連の経緯を説明した。
「応募作品は全部気持ちがこもっていましたがどれも百周年のイメージに合わなくて。カリスマ性も足りなかったです」――。山内さんはダンボール箱一杯に詰まった応募作品の山を前に、そう説明をはじめた。
パラー州ベレン、エスピリト・サント州ヴィトリアからの応募もあった。作風をみるとコンピュータソフトを使って丹念に仕上げたものが多く、日系人の子どもによる手書きの作品もある。その多くにポ語で丁寧な説明書きがあった。
笠戸丸の上に立ち日伯両国の国旗をもつ女の子や、白い半被姿のトゥッカーノ、亀、百周年のロゴを胸にプリントした活発そうな日系の女の子、金太郎や浦島太郎、招き猫やだるまなどが意気揚揚に乗りあう船のデザインもある。
八日付けで既報したとおり、マスコット選考委員会は昨年末に三回目の公募を締め切ったが、同時に一月十七日にブラジリアで日伯交流年の開幕セレモニーがあるとの情報が関係者に入った。「その日に記念マスコットを発表したらいい宣伝ができる」。そうした意図のもと一月四日、選考会議が緊急に開かれた。
山内さんによれば、その日集まった選考委員は松尾治同執行委員長、上原幸啓理事長、吉岡黎明文化委員長、桂川富男表彰委員会委員長、原長門総務補佐、大田レオ広報担当、山内エリカさんの八人。デザインやアートの専門家がほぼ不在での選考だった。また二年間にわたる公募期間がありながらも、この日の会議が実質上初の選考会議だった事実も明らかになった。
委員らは一日で二百ある作品の中から、二十五の作品を選定した。しかしその中から一つに決めることはできなかった。既報通り、その段階で日系二世の妻を持つマウリシオ氏にマスコット製作が依頼された。
「実を言うと私達が応募作品から無理にマスコットを選ぶことに責任を感じていました。なぜならそのデザインで本当にいいのかと周りから言われるのではないかと・・・。それにマウリシオさんの作品なら誰も文句を言えないですよね」(山内さん)
著名なマウリシオ氏に頼めば、百周年の知名度があがり、また選考委員会の責任も追及されにくいと委員らは踏んだようだ。
現在、山内さんは二百の応募作品全部をコンピュータでデータ化する作業を事務職員らと手分けして行っている。そのデータ化した作品をあつめて今年四月ごろ、サンパウロ市内で展示会を開催する考えという。現段階では場所はサンパウロ市内の地下鉄駅やCPTM駅のプラットホームなどを検討しており、交渉はこれから始めるという。
なお、選考委員会の原.氏は一月末のニッケイ新聞の取材に対し、「応募者全員に感謝状と選考結果を送りました。二月初めごろには到着するはず」と語っていたが、実際には未送付だったことがわかった。
八日の取材時でも、できたばかりの各候補者への謝礼文と通知書の原稿が机の上に置かれた状態で、「(二月)十一日ごろには発送できるのではと思います」と山内さんは説明した。マウリシオ氏のマスコットが公に発表されてから一カ月ほど経ってからの選考通知に関しては、「事務所の人手も足りなく時間もなかった。私たちはちょっとのんびりしすぎでした。本当にごめんなさい」と謝罪した。