ニッケイ新聞 2008年2月8日付け
「三回も募集しておいてさ。それなのに連絡もなく勝手に決めるなんて」――。百周年協会が二年間にわたり一般に公募していた移民百周年の記念マスコットが先月、「トゥルマ・ダ・モニカ」などで有名なブラジル人マンガ家、マウリシオ・デ・ソウザ氏の作品に突然決まった。ただし、その百周年協会の選定方法を巡り、応募者から批判の声があがっている。同協会は過去三回にわたり公募を実施した。それに応えたのは約二百人。非日系のブラジル人も多く参加した。しかし今回の突然の発表はそうした人たちの想いを踏みにじるかのように、事前に選考結果の連絡もせず、「ただ時間がなかったから」との勝手な百周年協会の都合で行われたものだった。
「ブラジル人の友達だってさ、みんな百周年を想って一生懸命にデザインしたんだよ。それをいい作品がないからって説明もなく勝手にマウリシオのデザインに決めちゃうんだから。ほんと失礼な話だよね」。
百周年協会の呼びかけに応えてマスコットデザインを二度送った日系女性は、こう憤慨して言う。
同記念マスコットは、〇五年十二月末ごろ、邦字紙を通じてはじめて募集がかけられた。しかし四十点ほどしか集まらなかったため、昨年八月ごろ二回目の募集を実施。さらに続けて昨年末を締め切りにして三回目の呼びかけを行った。
その際TV局グローボをはじめ、インターネットの関連サイト、マンガやデザイン学校などでも大々的に広告を出した。その結果、日系を問わず新たに約百六十の作品があつまった。
「昨年末ごろでしたか。一月十七日にルーラ大統領が出席して日伯交流年の開幕セレモニーがあると知ったんです。それで何とかその日にあわせてマスコットを発表しようと思って・・・」
記念マスコットの選考を担当した委員会の一人、原長門氏はこう説明する。
「その作品を委員会が今年一月のはじめに審査して二十五個に絞ったんです。でもどうしても百周年にふさわしい作品が決まらなくて。それにもう時間もなかったんですよ」
こうした経緯から正月明けに急いで開いた選考会議では、該当作品なしと判断。加えて四回目の募集をする時間もないと考えた委員らは、ブラジルで著名なマウリシオ氏に製作を依頼した。すると同氏は快諾、ギャラなしでいいと話がまとまった。
「マウリシオさんの妻は日系人だし、ブラジル中が知っている有名人でしょ。彼の作品を十七日に発表できれば、百周年の名を広くブラジル社会に知らせて貢献できると思ったんです」
ただ、こうした選考委員会の考えや選考過程は二百人の応募者には何ら知らされていなかった。そのため、マスコット決定の話を十七日のニュースで突然知らされた応募者からは、「誰のための百周年なんだ? 結局マウリシオに頼むんだったら、最初から一般に呼びかけなんかするな」との声が聞かれるようになった。
こうした百周年協会に対する批判の声はインターネット上でも綴られている。応募者の一人と見られる非日系のブラジル人男性は、自身のブログサイトで、「そんなにみんなの作品がわるいなら、全部公表して何がわるいのか説明しろ」などと書いた。またそれに賛同する他の応募者のコメントがポ語で連ねられ、日本人を侮蔑するような表現もみられる。
一連の経緯はなにも今回のマスコット募集に限ったことではない。百周年のロゴマーク選定でも、邦字紙上などを通じて二度公募し、約三百の応募作品のなかから一度ロゴを決定しながらも、突如、他のプロの作品に覆った経緯があるのだ。これにも疑問の声が一部から出たが、現在はなき事になっている。
先月三十日、原氏にこうした批判の声を伝えると、「連絡もせずマスコットを決めたことは悪く思っている。ただこちらも時間がなかったんです」と釈明。「それに応募者全員に感謝状と選考結果を送りました。二月はじめごろには到着するはずです」
しかし二月七日現在、サンパウロ市在住の応募者宅にはなにも届いていない。
■記者の眼■事後報告の百周年協会=無視された応募者の想い
今回の百周年協会の選定方法はあまりに一般候補者たちの想いを踏みにじる。選考結果を心待ちにしていた応募者らは、十七日に、マウリシオ氏の作品に決まったとニュースで知って驚いた。「なぜ彼がマスコットを? 私たちの作品はどうなったの」と――。
ブラジルマンガ界の巨匠が百周年のマスコットを描くことで、一般ブラジル人たちが移民百周年をさらに認知することは間違いなく、その宣伝効果の大きさもわかる。彼には何の落ち度もない。ただ百周年協会のやり方に対して不満が集中しているのだ。二年以上にわたりマスコット募集の広告をしておきながら、何も説明もなく突然応募者以外のマスコットに決定したのだから当たり前だ。
昨年末に募集を締め切り、その約二週間後(十七日)に公に発表するとなれば、たしかに〃時間がなかった〃といえる。しかし呼びかけ期間を含めても過去二年以上の時間があった。結局は直前までしっかりとした選考と対策を怠っていた証拠だろう。
原氏は応募者に対して感謝状と選考結果を送付したというが、それは一月十七日のマスコット発表よりも前にするのが筋のはずだ。それに、その肝心の手紙さえも十日以上たっても応募者宅に届いていない。
移民百周年は有名、無名をとわず日系社会をはじめ広くブラジル社会からの応援と総意があってはじめて成功するものだ。メインの記念式典まで残り半年を切ったが、こうした段取りと説明はきっちりとせず、移民百周年の信頼をなくすようなことは再び起きてはならない。(泰)