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ブラジルに根を生やし半世紀=トヨタ・ド・ブラジル=ルーラ大統領「日伯経済交流活発化を切望」=豊田章一郎名誉会長も出席

ニッケイ新聞 2008年2月1日付け

 ブラジル進出五十周年を迎えたトヨタ・ド・ブラジル(長谷部省三社長)は、記念セレモニーを一月三十日夜、サンパウロ市のコンサートホール「サーラ・サンパウロ」で開いた。ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領、ジョセ・セーラサンパウロ州知事、ジルベルト・カサビサンパウロ市長、日本からは豊田章一郎名誉会長(第六代トヨタ社長)を始め、四人の元ブラジル社長が出席した。千二百人の招待客は改めて日伯経済交流におけるトヨタの重要性を再認識しつつ、半世紀の業績を振り返った。
 トヨタ・ド・ブラジルの五十年の歴史が映像で流された後、長谷部社長は、半世紀を記念したモットー「更なる将来の発展」(Ampliando Horizontes)を強調、日本移民百周年を機に日伯関係の強化に貢献したいとの考えを示し、冨江新次、長岡徳治、宇治嘉造、岡部裕之元ブラジル社長らを紹介、会場から拍手が送られた。
 豊田章一郎名誉会長(第六代トヨタ社長)はトヨタ・ド・ブラジルの存在を「将来のトヨタを支える原動力」と位置付け、今日の発展に対する政府関係者の協力に感謝の言葉を述べた。
 続けて、「昨年、創立七十年を迎えたトヨタの五十年前の(ブラジル進出への)判断は間違えていなかった」と評価。「自然環境と消費者を大事にし、更なる発展を」と締めくくった。
 在ブラジル日本国大使館の新井辰夫公使は、昨年の日本式地上デジタルTV採用、トヨタのフレックス車の製造開始などに触れ、「日伯交流年を機会にさらなる経済関係の発展を期待」と日本政府を代表し、あいさつ。
 続いて、ジルベルト・カサビサンパウロ市長、ジョゼ・セーラサンパウロ州知事が、サンパウロ州、市におけるトヨタの存在の大きさを力説、日本移民の貢献にも感謝の意を述べた。
 ルーラ大統領は、移民百年とトヨタのブラジル進出五十年を迎える〇八年を記念すべき年とし、「笠戸丸の七百八十一人から始まった日本人移民は異なった環境に負けず、ブラジルに貢献した」と高く評価した。
 初めての仕事が日本人の経営する洗濯屋だったこと、〇五年の訪日時、名古屋在住のデカセギとの会合、七五年に初訪日がトヨタからの招待だったことなどを話し、日本・日系社会との個人的な思い入れを強調。
 近年冷え込んだ両国間の経済関係を六〇年代の日本企業進出ブームと比較しつつ、「トヨタを始め、他企業の更なる投資をブラジルは受け入れる態勢にある」とアピール、日伯経済交流の強化を期待した。
 セレモニー後のショーでは、「ブラジルの声」と言われる国民的歌手ミルトン・ナシメントが登場、セレモニー開始時にギターでブラジル国歌を独奏したトッキーニョと歌手ロベルタ・サーとデュエットを披露、イベントに華を添えた。
 立食形式での晩餐会で来場者らは、トヨタが製造していた「バンデイランテス」が展示された会場で、グラスを片手に歓談を楽しんでいた。

【トヨタ・ド・ブラジル】
 トヨタのブラジル進出は、サンパウロ市セントロに事務所を置いた五八年一月二十三日から始まる。六一年にサンベルナルド・ド・カンポ市に最初の海外工場を設立、ディーゼルエンジンを積んだランドクルーザー(通称バンデイランテ)を四十年間製造した。
 九八年、サンパウロ州インダイアトゥーバ市に新工場を建設し、カローラの生産を開始。〇四年一月、同工場の通算生産台数は十万台を達成した。
 〇三年、トヨタ・ダ・アルゼンチーナとトヨタ・メルコスル設立、翌々年、アルゼンチン工場に二億米ドルを投資、グローバル戦略車「IMV」の量産を開始した。
 〇四年五月、セダン型新型カローラ「Fielder」の製造を開始。昨年から、バイオエタノール混合率一〇〇%燃料にも対応するフレックス車の製造もスタートした。トヨタ・ド・ブラジルの昨年度生産台数は、一昨年と比較し、三%の伸びを記録、約七万二千台を上回っている。
 トヨタ自動車は、昨年創業七十年を迎え、世界二十六カ国で生産し、百七十カ国での販売網を確立している。