ニッケイ新聞 2008年1月23日付け
「こんなもの配ってもらっては困る」―――。ブラジル日本移民百周年記念協会(上原幸啓理事長)が今年一月に発行した『ブラジル日本移民小史』(醍醐麻沙夫編述)に笠戸丸移民の数など致命的な間違いがあることが分かり、ブラジル移民史の研究機関、サンパウロ人文科学研究所(人文研)や資金協力者から、批判の声が上がっている。執筆を担当した醍醐氏は取材に対し、「一世が来て、二世の時代になったくらいのことが分かる乱暴なものでいい。細かいことは気にしていない」と独自の移民認識を示した。「印刷費の一部はJICAの支援によっている」(三八頁)との記述があり、実際に「移民関係貴重資料デジタル化」への助成金のうち、「五千レアルを使った。後で返すつもり」(醍醐氏)。JICA聖支所によれば、「印刷費に使われるとは聞いていないが、助成金は百周年協会で管理しているので詳しいことは分からない」と話している。
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『ブラジル日本移民小史』は醍醐氏が編著を担当、百周年を機にブラジルを訪れる人への配布を目的に作成した四十ページほどの小冊子だ。発行元は、百周年協会となっている。
すでに一万部を印刷、資金協力者の広告により表紙を変え、随時の発行を予定。すでに一千部が配布されているが、記述の中に多くの歴史的ミスや数字の間違いなどがあることが関係者の指摘で分かった。
資金協力者である企業経営者の続木善夫さんは、一読後、「読み易いのだが、疑問点やあいまいな点も多いのでは―」と指摘。醍醐氏の「読み捨てるものだから」との返答に気分を害しながらも、「いいものを作るべき。皆で協力して再発行しては」と続ける。
人文研の宮尾進顧問は、「明らかな間違いも多いが、(醍醐氏の)歴史認識自体も問題」と指摘、「正誤表を作るレベルではない」と手厳しい。間違いとはどのようなものなのか。
目次の開拓時代が日本移民開始前の「一八二〇年代」となっていることや笠戸丸の契約移民の数「七百八十一人」を「七百七十九人」(六頁)、排日法といわれ、否決されたレイス法案を〃成立〃(二二頁)、同化政策での「十四歳以下への外国語教育の禁止」を「十二歳」(二五頁)とするなど、明らかな記述ミスが目立つ。
戦時中の記述で「かつて力を得つつあった『永住論』は総崩れとなり(中略)南方へ帰ろうと思うようになった」とあるが、これは三〇年代後半のゼツリオ・ヴァルガス政権時のこと。
「コチアに鈴木貞次郎が土地を世話して、日本人が入りはじめた」(一七頁)とあるが、宮尾氏は「数家族を扱っただけ。これではコチアを拓いたのが鈴木になってしまう」と話す。
「ブラジル移民が成功したのは(中略)家族移民を主にしたため」(五頁)に関して、「成功したといえるのか」と一般的な歴史認識との相違を指摘。
「ブラ拓が創設され、のちに南米銀行へ発展」(二一頁)とあるのは、「ブラ拓の銀行部が―」とするべき、と枚挙に暇がない。
「コロニア」の語句の使い方に関しても、「当時は邦人か同胞社会といっていたはず」と多くの間違いを挙げ、「こういうものをブラジル移民史として配っていいものか」と憤る。
写真などに撮影年、場所などのキャプションはほぼなく、円内の人物にも触れていない。
脇坂勝則顧問は、日本移民全体の数や現在における各世代の割合の統計などがないことに触れ、「日系社会を知るに非常に大事なことなのでは」と首を傾げる。
「使うことは問題ない。ただ了承を得ることが礼儀なのでは」。そう話すのは、ブラジル日本移民八〇年史に掲載した自筆の地図(同史五十七頁)を無断で使用された画家田中慎二さん。
元々はサンパウロ州の「主要鉄道線」と書かれていたものを勝手に「主要幹線道路」と変えていることにも「本当にお粗末。がっかりした」と苦笑する。
百周年協会の松尾治執行委員長は、「刷り直すことも検討したい。資金協力者に関しても(協会が)最終的に責任を取りたい」との態度を取っている。
醍醐氏はこれらの指摘に対し、「すでに四カ所は最後の頁の余白欄に訂正の印刷をした。間違いがあれば指摘してもらいたい」と話しながらも、「第一版は間違いがあるもの。細かいことを気にしないというのは私の編集方針。ポケットに突っ込んでパラパラめくって(移民史の)大体が分かればいい」との考えを示した。
「『移民関係貴重資料デジタル化』に対するJICAの助成金の一部を印刷費に流用した」と醍醐氏が話していることに関して、JICAの担当者は、「印刷物発行が申請項目にあるかどうか確認中」と話している。
連絡を取った百周年協会の小川憲治事務局長は、「デジタル化に関する印刷物かと思っていた」と醍醐氏との齟齬を認める。
この小冊子は六月の百周年式典などに来伯する訪問者に配布されるという。