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北パラナ、アサイ市の〃日本人家族〃を訪ねて(4 終)=日本の日本人は知らない=純血を誇る子孫がいることを

ニッケイ新聞 2008年1月22日付け

 二世の父親は非日系のブラジル人を、「ガイジン」もしくは「ブラジル人」と呼んだ。日本で言うガイジンはたいてい他国籍の人を指す。しかし、この場合のガイジンは、国籍の差違を意図していない。ブラジル籍の父親が、同じ国に暮らす非日系人を人種・習俗、価値観の違いからガイジンと呼ぶのはおもしろい。
 ちなみに県費留学生で日本に十カ月ほど滞在したことがある知人は、「私は全くブラジル人との血が混ざっていないのに、どうして日系人と呼ばれるのだろう」と思っていたという。
 「だって小さいときから『ジャポネーザ』ってずっと言われてきたしね。それに家でも日本語をつかったし、日本のテレビも観ていた。だから日本の日本人とは、生まれた場所が違うだけで、同じ人たちと思っていたよ」。
 サンパウロ市に暮らし、〃日本生まれの日本人〃と接するようになってから、「日系」と「日本人」を使い分けることを覚えたという知人。今では日系の言葉に抵抗はなくなってきたと言うが、それでも口に出すときは少し違和感がある。
 知人は小さい時から日本文化に親しんで育った。日本のマンガをむさぼるように読みあさり、自然な日本語はそれで覚えた。往年の日本のマンガやアニメ、俳優、歌謡曲については記者よりも詳しい。
 学校は近所にある公立の小学校と中学校に通ったが、生徒の九割以上が日系という環境だった。日本語学校にも通った。「君が代」も授業でよく歌った。日本の昔話なども紙芝居などを通じてたくさん覚えた。
 さらに事あるごとに「日本人としての誇りを持ちなさい」と父親に言われたというから、日本人としての意識が大きく形成されたのは当然。純血であることも自覚していた彼女にとって、日系の言葉がしっくりこない理由がわかった。
 父親も若い頃はブラジル人にジャポネスと呼ばれ、ひどくバカにされたこともあったという。付き合う友人も〃日本人〃が中心だった。「街には日本人家族がたくさんいたしね。誰も無理にガイジンと付き合うこともなかったし、ガイジンと結婚する人も滅多にいなかった。彼らと結婚した日本人もいたけど、その人は父親から縁を切られてね。父親が死ぬ直前になってやっと仲直りしたくらいだったよ」。
 こうした話を機会あるごとに、四人の子どもたちに話したという父親。「幸い子ども達がガイジンとじゃなくて〃日本人〃といっしょになってくれてよかったよ」。そう記者に洩らしたのは本音だろう。
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 元旦夜は、知人の弟夫婦の自宅へ泊まらせてもらった。一昨年、夫婦でデカセギに行って貯めたお金で建てたという家には芝生と照明がついた庭もあり広い。
 日本の新しいゲーム機器とソフトが棚に並ぶ。日本で撮りためた写真もみせてもらった。同年代の日本の若者といっしょに、楽しそうに映っていた。日本の遊園地や観光地も多くまわったという。
 父親からは次の日、「デカセギの力を思い知ったでしょ」と声をかけられた。「アサイにもデカセギ御殿がたくさん建ってね。昔ほどではないけど、数年日本に行って家が建つなら誰でもいくよね」。
 ■おわりに■
 ブラジル拓植組合によって造成され、日本人の手によって発展したアサイ。その地に造成当初から暮らしている記者が過ごした一家は、どこか戦前生まれの日本人移住者が大事にした古き良き日本文化や価値観を残しているようだった。それは遠いブラジルで純粋培養された日本の名残りのようだ。二世の父親にとっては、その名残りこそが自身のアイデンティティーを支えるものになり、誇りであり、子ども達に伝えたいものに思えた。〃日本人町〃アサイほどではないにしろ、移民百周年を迎えた現在でも、こうした〃日本人家族〃はまだまだブラジルにはいるはずだ。
 デカセギにより日本に三十万の日系人やその家族が暮らす時世になり、〃日本の日本人〃との共存が叫ばれるようになった。しかし依然として、犯罪面などをはじめ、デカセギや在日日系ブラジル人に対する偏見は強く、イメージも片寄っている面は否めない。そうした中で、こうした至極日本との心的な繋がりを誇りにする日系人家族がブラジルにいることは、日本にいる日本人にとって、ブラジル日系社会を身近に感じさせるものではないかと思っている。(おわり、池田泰久記者)



北パラナ、アサイ市の〃日本人家族〃を訪ねて(1)=二世、三世が「日系」と言わない=ごく普通に「日本人」と表現

北パラナ、アサイ市の〃日本人家族〃を訪ねて(2)=食後「ごちそうさま」に対して=「お粗末さま」と主婦の答え

北パラナ、アサイ市の〃日本人家族〃を訪ねて(3)=映画館が消えてビデオが…=夢中で見て日本と繋がっていた