ニッケイ新聞 2008年1月16日付け
五十年の歩みを振り返ろう――。日本人移民五十周年にあたる一九五八年にサントス港へ到着した人たちの「移住五十周年の集い」(野村愛国世話人)が十三日、リベルダーデの宮城県人会館の屋上で開かれ、該当者やその家族など約百二十人が集まり、旧交を温めあった。移民船ごとの同船者会はたびたび開催されているが、年間を通した移住者の集いが開かれるのは、おそらく初めて。参加者それぞれがブッフェ式の食事とともに、セルベージャ、ウイスキーを片手に、思い出話に花を咲かせていた。
小雨が降るなか、先没者に対して一分間の黙とうを捧げたあと、世話人の野村さんがあいさつ。「我々も頭が白くなり、子どもも大きくなった。子孫には日系の誇りを持ちつづけて欲しい」と力強く述べた。
続いてコチア産業組合の移民係として青年の世話をした藤田繁さんがあいさつし、さんとす丸で渡伯した宮城滋さんが乾杯の音頭をとった。
食事後には五十年の節目を祝う記念のケーキカットを行い、来賓の山中イジドロ元農務大臣補佐官が祝辞を述べた。山中氏はこれまでのブラジルに対する日本政府の協力と、参加者やその子孫の活躍を称え、会場からは大きな拍手が贈られた。
同集いは、さんとす丸の同船者が渡航中に結成した「五十年会(いそとせかい)」のメンバーやコチア青年の関係者の間で話が盛り上がり、企画された。当初は同移民船だけの集いを計画したが、同じ年の渡航者で一度も同船者会を開いたことがない人がいることも知り、「それぞれでやるより一緒にやってはどうか」と呼びかけたのがきっかけとなった。このほど参加者の渡伯五十周年が移民百周年の年にあたることも理由にある。
五八年は家族移住をはじめ呼び寄せ移住、産業開発青年隊、コチア青年、沖縄からの移住者も多く、全体では約六千人が移住したという。
集いが開かれたちょうど五十年前の一月十三日にさんとす丸で渡伯した、芳賀七郎さん=75歳、モジ市イタペチ在住=は「私はそんなに信仰深くないけれど、今日は仏壇に感謝の気持ちで線香を上げてきた。感無量だよ」と満面の笑み。来伯からずっとイタペチに暮らし花栽培をしているとし、「一生懸命でなくて、〃一所懸命〃な人生だったよ」と感慨深げな様子だった。
同じく、さんとす丸の同船者の菅原要一さん(70)は、ミナス州イパチンガ市からバスで十五時間かけて会場に駆けつけた。菅原さんは、日本人移民五十周年にあわせて来伯した三笠宮殿下をお迎えするため、「仲間といっしょにトラックの荷台に乗ってコンゴーニャス空港に向かったんだよ」と懐かしそうに振り返っていた。
全体ではこの日初めて顔を合わす参加者も多く、それぞれが五十年の歩みを語り合うなど、和やかで明るい雰囲気に包まれていた。
五八年にサントスに入港した日本移民船は、さんとす丸=一月十三日、ぶらじる丸=二月九日、あふりか丸=三月二十三日、さんとす丸=五月十五日、ルイス号=六月十日、ぶらじる丸=六月十五日、テゲルヴェルグ号=七月十日、あふりか丸=八月二十日、ぶらじる丸=十月十二日。