ニッケイ新聞 2008年1月10日付け
「国士舘スポーツセンター活性化計画を白紙に戻し、準備委員会も解散します」――。約五カ月に渡りサンロッケ市の国士舘スポーツセンターの運営を受託する件について文協評議員会(渡部和夫会長)と検討を重ねてきた同センター管理運営準備委員会(白旗信委員長)が、事実上の撤退と解散を表明した。準備委員会は文協、各評議員に対して渡部和夫評議員会長の批判文章を送付し、計画の白紙化と解散、文協との決別を宣言した。一方、渡部評議員会長はニッケイ新聞の取材にたいして「熱意のある人たちだったし、これからの話し合いでさらに煮詰めていく予定だったのに」と落胆した様子だった。
「(国士舘センターを)コロニアにとって慰安の場所にしたい。我々コチア関係者はコロニアに何もしていないからなんとかしたいんだ」と、八日来社した準備委員会関係者は切実な思いを口にした。
センター運営を受託する件は、昨年七月に同センター内で行われた桜祭りの反省会の場で、同センター担当理事から今後の運営方針について検討を行うべき、との提案がなされたのが始まり。
その提案を受け、コチア関係者が中心になり、同センター近隣住民が集まり会合を開いて受託についての話し合いを行った。その結果、八月には熱意のある十五人で準備委員会が結成され、十一月末まで二十回にも及ぶ会合を持った。
昨年十二月八日に行われた評議員会の席上で、運営権受託の決議を求めた準備委員会に対し渡部評議員会長は拒否し、二月二十三日に行われる評議員会に先送りすることを決定した。
この決定に対して、準備委員会は「理事会では通過したのに、評議員会では審議も何もされていない」と怒りを露にした。また、「自分の職責を賭けてもなんとかしたい」と宣言していた栢野定雄文協第三副会長が、「実際には何もしなかった」(委員会関係者)だけに、信用しきっていた準備委員会の落胆の色は隠せない。
このことを受け、準備委員会は「国士舘問題について」と「国士舘問題の経緯と活性化中止に至る経過説明」と題した二つの文章を今月三日に文協事務局に手渡し、四日には各評議員に対しそれぞれ送付した。
送付した文章の中には、「評議員会長の独裁体制」「強行された専横さはまさに異常である」などの批判が連ねられている。準備委員会の評議員会後の結論は、以下の文章で示している。『現文協のあり方、考え方では、問題を増幅するばかりで、活性化するどころか、泥沼にはまり込み、協力者に迷惑を掛ける確率が非常に高いので、「活性化計画」は破棄、準備委員会は解散することにしました』。
その他に、評議員会に至るまでの渡部評議員会長とのやり取りを示した内容の文章、文協や渡部評議員会長などを批判する文章などが書かれている。
一方、渡部評議員会長はニッケイ新聞の取材に応えて、「(準備委員会から)送付された文章は手元にないし、見ていない」と前置きしながら、「提案の中には問題点も数々あり、その問題点を改正した上で、評議員会で審議するつもりだった」との考えを示した。
続けて「一度目の評議員会では提案がなかったから、提案の提出を求め、十一月十九日に日本から帰ってきた際に提案を受取った。改正の余地があるために二度目の評議員会で各評議員に配ることをしなかった。会議中に見ることは不可能だと思ったから」と今までの流れを説明した。
「これからさらに話を詰めていこうとした時に、数人のリーダーたちが怒ってむくれてしまった。熱意は伝わっていたし、これからという時に非常に残念」と肩を落とした様子で渡部評議員会長は話した。