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上塚周平伝のポ語版出版=プロミッソン=「ぜひ子供に読ませたい」=18年の入植百年祭に向けて

ニッケイ新聞 2007年12月20日付け

 サンパウロ州ノロエステ線プロミッソン市(旧上塚第一植民地)の市立大学で十五日夜、「移民の父・上塚周平伝『荒野の人』」(能美尾透著、ニッケイ新聞刊)のポ語版『O Homem da Mata Salvagem?A Saga de Shuhei Uetsuka』の出版記念会が行われ、市長はじめ約二百人が集まった。近年とみにその業績を見直す機運が日伯両国で高まっている上塚周平翁の本だけに、同地百周年記念行事の開始を告げるイベントとして、さらにノロエステ地方全体の価値を強める起爆剤にと〃日本移民のゆりかご〃も湧いている。
 あいさつの中で、ジェラルド・シャーベス・バルボーザ市長は「この本にはプロミッソン市の歴史、未来の世代に残すべき貴重な日本移民の遺業が書かれている」と称揚した。同市百周年委員会は来年が過ぎても解散せず、「一八年のプロミッソン開拓百周年に向けて準備を始めてもらう」と語り、市政と日系コロニアが連携して発展に貢献するとの意気込みを表明した。
 同地に上塚第一植民地(イタコロミー植民地)が拓かれたのは一九一八年、市制がひかれたのは二三年。まさに町の基礎を作ったのは日本移民だ。最盛期の一九三〇~三五年当時には千三百家族の日本移民が住んでいたが、現在は百五十家族程度という。
 ニッケイ新聞の高木ラウル社長は、十月に上塚周平の郷里である熊本県下益城郡城南町で行われた銅像除幕式に参加した経験をのべ、「これは百周年のはじまりである」と語った。
 飯星ヴァウテル連邦下議は「百周年の節目を目前に控えた今こそ、上塚周平の勇敢な生き様を我々の模範にしよう」とあいさつした。
 続いて百周年記念協会の上原幸啓理事長の代理として今泉ヨシオさん。さらにノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長は「移民の父、上塚さんの功績がポ語で広められることは本当に喜ばしい」と顕彰し、同地域には他にも平野植民地の平野運平、アリアンサ移住地の先駆者らたくさんの功労者がいると強調した。
 同市百周年委員会の安永ルイス委員長も「ノロエステは、ここから日本移民が全伯に広がっていった〃ゆりかご〃。そのシンボルの一人が上塚翁。今回の出版はその意義を補強するものだ」とのべた。
 翻訳した故・園尾ローザ登喜子さんの代わりにサインをする夫、彬さんの机の前にはずらりと二十人以上の列ができた。「妻も喜んでいると思います」と彬さんはしみじみと述懐した。同日だけで百二十冊以上が購入された。
 サンパウロ市でのポ語版出版記念会は二十日午後六時から、文協の移民史料館(九階)で行われる。
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 同地在住の中里晃三さん(67、長崎出身)は「ぜひ子供に読ませたい。我々が言い聞かせても、今の二世、三世は移民史に関心ない。こういう本なら理解してもらえ、日系社会を盛り上げようという意識につながると思う」と語り、四冊も買っていた。
 姿克典さん(66、長崎出身)は「ポ語だからブラジル人も買っている。日本人の苦労がよく分かってもらえるようになるのでは」と喜ぶ。
 生前の上塚周平翁を知る数少ない一人、同地の長老二世、安永忠邦さん(86)は「予想していた以上に盛会。百周年の機会に上塚先生の名前が知られるようになることを何より嬉しく思っています」と顔をほころばせた。

ノロエステ=「皇太子殿下のご訪問を」=諦めず全力で働きかけ

 上塚周平伝のポ語版出版会に出席したノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長は、「当地の全ての百周年記念行事日程は、皇太子ご訪問のために未定にしています」と大きな期待を寄せた。
 「そりゃ、お見えにならなかったらしかたない。なにも文句はありません」と前置きしつつも、「ただ待っているのでなく全力を尽くしてアラサツーバにお迎えする働きかけをしたい」。
 現在、百周年記念事業としてノロエステ記念誌編纂を企画しているところ。三十支部すべての歴史を網羅し、写真を多く掲載し、日ポ両語で二千部程度発行する計画だという。
 皇室が同地域を訪れたのは、移民五十周年(一九五八年)にリンスをご訪問になった三笠宮殿下ご夫妻のみ。リンス慈善文化体育協会の安永和教会長も「ノロエステに再び足を踏み入れていただきたい」という。
 あまたの初期移民史上の著名人をはじめ市井の人々が骨を埋めた〃移民のゆりかご〃ノロエステ。ここで育ってからパラナ州やサンパウロ市に旅立っていった後継世代は数知れず。
 白石会長は「そのような地に来年、皇室に来ていただき、先亡先駆者らのために祈っていただきたい。我々は最後までのその希望を諦めない」と力強く語った。