ニッケイ新聞 2007年11月27日付け
農業分野の貢献者を称える山本喜誉司賞(ブラジル日本文化福祉協会山本喜誉司賞委員会選考)の授賞式が二十三日夜、文協ビル貴賓室で開かれ、受賞者の親族や日系団体の代表者など、約二百人が祝いに駆けつけた。三十七回目の開催。今年受賞したのは神谷栄さん(南マ州ナビライ市、77)、前田育人さん(サンパウロ州バストス市、85)、山下昇さん(サンパウロ州グアイーラ市、74)、山中正二さん(パラ州ベレン市、69)、功労賞の浦田昌寛JICA日系社会シニア・ボランティア(サンパウロ州ピラル・ド・スル市、59)の五氏。受賞者に会場から惜しみない拍手が贈られていた。
今年は昨年表彰にもれた八人を加えて十五人の候補者の中から選考した。十六人の選考委員が三人に投票し、その得票順に選んだ。昨年までに受賞した農業者は約百十人にのぼる。
山中イシドロ同賞選考委員会委員長の開会あいさつに続いて、上原幸啓文協会長があいさつ。故・山本喜誉司氏の功績を称えたうえで、受賞者に今後更なる活躍と指導を期待したいとした。
続いて各受賞者への記念プレート授与がおこなわれた。前田さんは体調不良のため娘のヒサエさんが代理で受賞し、丸橋次郎在聖総領事館首席領事が祝辞を述べた。
式典後は日本食などを囲んで乾杯。山本氏子息のカルロス坦氏、松尾治県連会長、森口イナシオ援協会長らも来賓として出席していた。
式典に先立ち開かれた記者会見で、神谷さんは今回の受章を「恥ずかしい感じだけど嬉しい」と笑顔。七八年に二十七人の組合員とともに農業組合・COPASULをナビライ市に創立し、規模を拡大させた。同組合の大豆の年間取り扱い量は十五万トン、トウモロコシ十二万トン、綿は五十四万アローバにのぼるという。
また神谷さんは同地の農業形態に触れて「昔は三、四アルケールで綿作りをしている人もたくさんいたけど、今は二百アルケールは必要」と述べ、ブラジル農業の大型化を説明した。
六〇年に東山研修生として移住した山中さんは、ベレン市で未開発分野だった花卉園芸と造園業の発展に貢献。マラクジャ、アセロラ、クプアスー、カムカム、アサイなどの導入や栽培技術の改善にも尽力した。
山中さんは「自分の先生から死ぬまでがんばれよと言われているようだ」と受章を喜んだ。また「子どもたちに農業をさせることも重要な教育になる」と強調した。
山下さんは大型潅漑施設(ピボー・セントラル)を八〇年にサンパウロ州奥モジアナ地域に導入した。これにより、乾季での裏作が可能にあり、かつて単作一毛作だった同地で米や綿花をはじめ、フェイジョン、タマネギ、ジャガイモ、トウモロコシなどが周年で安定して栽培可能になった。
今回の受賞については本人が「何もしていないから」と一度断りながらも、関係者が内々で手続きを進めたものだという。
「人生で一番の思い出」と語ったのは浦田シニア。柿優良品の多収獲、すももの樹勢回復、デコポン、銀杏、日本種ブドウの栽培指導を各日系農家で行ってきた。赴任当初は「日本式の方法をブラジルで取り入れてもらえるか不安だった」とシニア。「日系農家の方々にはほんとよくやっていただいている。今後も体力の続く限り指導を続けていきたい」と意欲的に話した。