ニッケイ新聞 2007年11月17日付け
二世最高齢がボツカツに?――。笠戸丸移民の娘で、コロニア最高齢二世と思われる日系女性がサンパウロ州ボツカツ市に暮らしていることが、ニッケイ新聞の取材でわかった。具志堅金城カルメさんがその人で、本日十一月十七日に九十八歳の誕生日を迎える。普段は離れて暮らすカルメさんの孫、曾孫も駆けつけてお祝い会が開かれる予定だ。沖縄県人笠戸丸移民を調査する赤嶺礎乃子さんと記者が十二日、自宅でカルメさんに取材すると、「子どもや孫の幸せが何よりもの楽しみ」とかくしゃくとした様子で話してくれた。
「フクラシクウムトヤビン(誇らしく思っております)」―。赤嶺さんの通訳を通じて記者がコロニア最高齢二世の可能性をカルメさんに伝えると、流暢な沖縄方言でそう応えた。
沖縄県島尻郡南風原町津嘉山出身の両親(父・金城大三郎、母・カメサさん)はフロレスタ耕地(現・サンパウロ州イトゥ市)に入植後、サントス市に移り住んだ。息子のコウトクさんによれば、カルメさんは港のドッカス(荷置き場)で産まれた。
大三郎さんはサントス港で荷役夫として働いた。しかしきつく慣れない仕事のせいか、カルメさんが物心つく前に亡くなったという(死亡年月日は不明)。
大黒柱を失った母親のカメサさんはその後、同じく沖縄系の赤嶺コウエイさんと再婚した。しかしその母親もカルメさんが十歳のときに破傷風を患い、三十歳の若さで他界、継父のコウエイさんもその翌年にこの世を去った。肉親を無くしたカルメさんは同市内のカナルⅠの一角で親戚に育てられた。(注・サントスでは市内のカナル『水路』を基準に土地区画がされている)。
カルメさんは二六年、十七歳の時に沖縄移民の具志堅清正さんとサントスで結婚。二九年に長女サエコさん(故人)を授かり、翌三〇年から一家はボツカツ市に移り住んだ。
三一年に同市郊外のヴィトリアーナ地区に二十四アルケールの土地を購入。米やフェイジョンをはじめピメンタやトマトなど「色んな野菜をつくってフェイラに売りに行った」とカルメさんは懐かしそうに振り返る。
同地で四男、六女の子宝に恵まれた。USP法学科を卒業して長年弁護士として活躍した長男のセイユウさんをはじめ、六人の子を大学に送り出した。「ママイは私達のために一生懸命はたらいてくれた」。子どもたちは、そう母親を称える。
孫十一人、ひ孫は十四人。夫の清正さんは六〇年に亡くなり、現在は定年退職したセイユウさんと五女のタケコさん、末娘のチエコさんと一緒に暮らしている。
食事は「子どもたちがつくってくれたものは何でも食べます」とカルメさん。チエコさんは「脂分の多いお肉は出さないようにしている」というが、とくに好き嫌いもないそう。
現在は足が悪いこともあって、外に出かけることは少ない。楽しみはNHKを観ること。「歌やお花、料理の番組が好き」で、お気に入りの番組があるときは夜中の〇時近くまで起きていることもあるそうだ。