ニッケイ新聞 2007年10月31日付け
沖縄に帰るに帰れなかった―。八年越しで完成したブラジル読谷村人会の記念誌。出版祝賀会の席上、編纂委員長の知花眞勲さんの、ほっとした表情が印象的だった。
知花さんが入植した麻州のカッペン植民地はサンパウロ市から二千八百キロ、クイアバから六百キロ。第一陣がカンポ・グランデを通った時、同地の県人が引き止めた程という。
作物は育たず、マラリアで家族を失い、七十四家族は数年で転出、各地を転々とした。インタビューのテープを聞いて涙が出そうになった―、編集委員は振り返る。
ブラジルのどこに行っても日本人がいる、とも言う。戦前だけでなく、戦後、カッペンやアクレ、ロライマなど〃最果て〃の地で辛酸を舐めた日本移民の血と汗があったからこそ、その言葉があるのだと思う。
来年は第一次入植から五十年。同地では現在、ドイツ系がゴム栽培を行っているという。(ま)