ニッケイ新聞 2007年10月30日付け
【パラナ新聞】日本政府の二〇〇七年度百歳高齢者表彰が二十一日、ロンドリーナ市のパラナ日伯文化連合会会館(アリアンサ)で行なわれた。クリチーバ総領事館管内の今年の受章者は三人。佐藤宗一在クリチーバ日本国総領事から故・橋本ヲヨノさんの代理と、家永潤さん、長谷川三吉さんに内閣総理大臣の祝状と記念品が手渡された。
今年度は一九〇七年(明治四十年)四月一日から一九〇八年(明治四十一年)三月三十一日までに出生し、現在パラナ州に在住する百歳の高齢者が対象。
日本では毎年九月十五日の「敬老の日」に百歳の高齢者に、内閣総理大臣より祝状と記念品が贈呈されている。
表彰式では上口誠一、嶋田巧両アリアンサ名誉会長が代表であいさつ。
嶋田名誉会長は「一口に百年と言っても、そう簡単ではない。昔と比べると百歳を迎える人は多くなってきている。どうやったら百歳まで生きられるのか教えていただきたい」と祝いの言葉を送った。
佐藤総領事は「一世の人々の苦労と努力があって現在のブラジル日系社会がある。日系二・三・四世の活躍は一世の方々の教育が熱心であったからであり、努力のたまものだと思う」と祝辞を述べた。
安倍晋三・前内閣総理大臣の祝状を佐藤総領事が読み上げ、故・橋本さんの代理で長男の嫁・幸枝さん、続いて家永さん、長谷川さんの順に贈呈された。
幸枝さんによると、故・橋本ヲヨノさんは一九〇七年三月十八日岡山県生まれ。二八年に鎌倉丸で渡伯し、パラナ州カンバラ市に入植。橋本二郎さんと結婚し、ウライで農業に従事、九人の子供を授かった。
ヲヨノさんは明るい性格で、花を植えることが好きだったという。九十六歳まで家の周りの掃除や、料理や縫い物をし、普段から座らずに家事ばかりしている人だったという。今年七月十日に体調を崩し入院、十四日に亡くなった。
幸枝さんは「生前に、母から移民してきてから苦労ばかりだったという話を聞かされた。健康な人はやっぱり何か違うなと感じた」と話していた。
家永さんは一九〇八年四月五日、福岡県生まれ。十九歳で渡伯し、サンパウロ州ペルナポリスに入植した。
息子の東洋さん、娘の高倉和子さんによると、家永さんは明るい性格で、健康の秘訣は普段から日本食を食べ、野菜を中心に肉も魚も何でも食べること。身体が自由に動いた頃はゲートボールや卓球などをよくしていたという。
長谷川さんは一九〇八年三月五日、北海道出身。三一年、二十三歳で単身ブラジルへ渡り、プロミッソンの上塚植民地に入植した。三八年に妻の富美子さん(八七歳)と結婚、五一年にロンドリーナへ移った。
今回の受章に「うれしいです」と喜びを表す長谷川さん。自身の人生を振り返り「苦労すると思ってきたから、ちっとも苦労だと思わなかった」と話し、健康で長生きする秘訣について「青年時代からクリスチャンで、酒もタバコもやらないからだと思う」と述べた。
妻の富美子さんは「毎日、日本食を食べていることが長生きの要因では」と語った。