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ニッケイ新聞 2007年10月3日付け

 アクレ州へ最初に入った日本人とされるのは、いわゆる「ペルー下り」で一九二〇年にリオ・ブランコへ入った古野功氏(八七年に死去)。西部アマゾン日本人移住七十周年記念誌「緑」によれば、農業を営んだ同氏はその後、五九年のキナリー入植まで約四十年間、まったく日本語を使うことがなかったという。キナリー入植当時には二万人だったリオ・ブランコの人口は二十万人に増えた。同市では現在、他所から転住した日系人約八十家族が暮らしている。
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 サンパウロ日伯援護協会は来年の移民百周年の記念事業として、『ブラジル日系先達医師の足跡』(仮称)と題した、記念誌を発行する構想をこのほど明らかにした。森口イナシオ会長の発案。これから編纂委員会などを組織する予定だが、内容としては、ブラジルの医療に日系人の医師がどのように活躍し貢献してきたかをまとめるという。来年中での完成を目指しており、ポ語版で千五百部を刷る計画があがっている。日語版の詳細については今後検討していくとか。
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 先月行われた在伯沖縄青年協会五十周年式典は、主催者側の予想を上回る人出で、宮平会長はじめ関係者達も驚きを隠せないでいた。当初は五、六百人程度の来場者を予想していたとのこと。夕食時に配った弁当は千二百を注文したがそれでも不足したという。半世紀を経てなお強い、隊員の絆を感じさせた。