ニッケイ新聞 2007年9月28日付け
それにしてもブラジルの選手が、素晴らしい柔道を見せてくれた。100キロ級のルシアーノ・コレイアが全試合一本勝で、まるで神様が移ったしか思えないような大活躍で、あれよあれよという間に金メダルを取ってしまった。聞けば少し前、恋人を失い奮起して、この金メダルを恋人の墓に捧げるそうである。
それ以上に良かったのは81キロ級のチャーゴ・カミーロの試合であった。ジョーゴス・パン・アメリカーノでも、彼は素晴らしい試合を見せてくれた。全部一本勝ちで最後のキューバ選手の内股をすかして払腰で一本取った試合は白眉だった。
私は彼をシドニー・オリンピックの時から知っていた。私の代稽古をしていた馬欠場卯一郎君(バストス道場主宰)が鍛えた選手で、あれよあれよという間に決勝まで駆け上り、ブラジルの期待を担ってイタリアの選手と対戦した。当然勝つものと思って見ていたら、自分の得意の内股を見事にすかされて一本負けしてしまった。今度は七回試合して全部見事な一本勝ちで、一本勝ちのトロフィーを受賞した。
日本の先生方がびっくりして、私に「石井さん、本当に良いものを見せてもらいました。あれが本当の柔道ですね。本当に羨ましいです」と言ってくれた。私が見ても、今度の大会でチャーゴの柔道がナンバーワンだと思った。
重量級のジョナサン・ガブリエルも素晴らしかった。柔道を始めて五年足らずというのに、日本の井上に対して一歩も引かず、三位決定戦で堂々わたりあい、効果で勝ったのは立派である。井上といえば、日本の生んだ天才柔道家である。その井上を恐れず制したのはブラジル柔道の進歩を物語る何物でもない。二メートルを越す長身で、何よりまだ二十一歳という若さは、今後の成長が期待される。私は第二のヘーシンクになれる選手だと思っている。
強化練習の時、私のところへ来て、先生、大外刈りを教えて下さい、と言ってきた。私の大外刈りはこうだよ、と手にとって教えた。飲み込みが早く、次の試合にはすぐにマスターして、私より巧い大外刈りを掛けていた。まさに天才である。
軽量級のジョン・ディリーは、カイロに次いでの二連覇は立派というほかはない。ジョーゴ・パン・アメリカーノでも見事に金メダルに輝いている。北京オリンピックでも有力な金メダル候補だろう。期待されていて勝つのは本当に大変な努力がいる。期待に応えるのは努力以外にはない。
ブラジルはこの大会で、金メダル3個と銅メダル1個という史上最高の成績をおさめた。
日本は最終的には女子48キロ級の谷亮子と無差別の塚田真希、それに男子無差別の棟田が奮起して、金メダル3個を獲得して、何とか本家の面目を保ったが、内容は惨々たるものだった。三日目まで金メダル無しで、ブラジルはすでに3個の金メダルを獲っていた。一緒に観戦していて、私は日本の諸先生や友人達に気の毒で、日本チームの席には行かなかった。
昔の柔道仲間に久しぶりに再会して、みんなからブラジルの健闘をほめられ、本当に面目をほどこしたわけである。カナダの中村浩之氏やスイスの三上和広氏、日本の正木昭夫氏、早稲田の柔道部の仲間達、その他旧知のたくさんの柔道マンと再会して、旧交を暖め、本当に有意義なひと時を過ごせたことを嬉しく思っている。
大会二日前、突然ブラジル柔道連盟に呼び出され、大会のメダルの授与者に要請された。私が渡したのはギリシャの帰化人選手、I・イリアデス選手だった。柔道もフットボールと同じで、国際化が進み、そのはしりが私のブラジル帰化なのかと苦笑してしまった。しかし、そのブラジルが柔道で世界の強国に伍して立派に3個の金メダルを獲得した事に、われわれ日系コロニアがあずかって力があった事にまぎれもない事実である。
私が昔、日伯毎日新聞に連載した『ブラジル柔道のパイオニア伝』に書いた、前田光世から始まって大河内辰夫、内藤克寛、小川龍造、小野安一、谷宗兵衛、深谷清節、木原芳夫、篠原正夫、倉知光、岡野修平諸氏に感謝する次第である。日系コロニア百年の歴史の中で、ブラジルに一番貢献したものは柔道であると、私は信じて止まない。(敬称略)。〇七年年九月二十三日記す。おわり
世界柔道選手権大会の感想=石井千秋(上)=最近勝ち過ぎていた日本=強く感じた主審の主観