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おきなわ祭りに1万人=カサビ市長「聖東部で最大」=今年からサンパウロ市公式行事に

ニッケイ新聞 2007年9月18日付け

 「市東部最大のイベントに招待されて嬉しく思う」――。澄み渡る空の下、延べ約一万人(主催者発表)が訪れた会場でジルベルト・カサビ市長は地元に根付いた〃オキナワ〃を高く評価、贈られた沖縄の守り神「シーサー」を手に笑顔を見せた。
 ブラジル沖縄県人会ビラ・カロン支部(新崎マリオ盛義支部長)主催の「第五回おきなわ祭り」が十五日午後一時から、同支部会館前のビラ・ノーバ・マンシェステル市営サッカー場で行われた。来賓には、飯星ワルテル連邦下議、神谷牛太郎市議らが出席した。
 すでに恒例となった同祭には、非日系人も多数来場。ブラジリア、カンポ・グランデなど遠方の各支部からも多くが参加、ウチナーンチュ(沖縄の人)の結束の強さを見せつけた。
 ラジオ体操を皮切りに始まったアトラクションは、県系バンド「ロックサミヨ」がステージ上で民謡やオキナワンポップを披露。琉球国祭り太鼓が炎天下の中、勇壮なエイサーで沖縄の囃子を会場全体に轟かせ、イベント前半を大いに盛り上げた。
 ステージをコの字に取り囲むように並べられた露店の数は五十八。中でもヤギ汁コーナーは終始、たくさんの人で賑わいを見せ、同支部の婦人部たちが作った沖縄そばに舌鼓を打つ声も。
 ブラジル沖縄系社会をポルトガル語で紹介している「ウチナー・プレス」のブースや、東洋街でお馴染みのソルベッチ「メローナ」など、多彩なバンカが軒を並べた。
 「最初は沖縄系だけが集まった小さい祭りだった」。〇三年に約六百人だけで始まった同祭を振り返り、宮城調智元沖縄県人会長は会場を眺め、目を細めた。
 知花良治支部長(当時)を中心に開催されたが、資金面の問題から「毎年の開催は難しい」と会内部でも指摘されていた。 
 しかし、当時の執行部たちは翌年、市観光局に特許を申請、名称「おきなわ祭り(Okinawa Festival)」を登録。ビラ・カロン支部の〃財産〃とした。
 関係者の奮闘もあり、毎年増える入場者に比例するかのように後援団体も定着し、地元を代表する祭りに成長。五回目の今年、サンパウロ市の公式行事としての認可を受け、カサビ市長も駆けつけ祝福、関係者にとっては喜びの日ともなった。 
 アトラクション後半は祭り太鼓、ポルトガルにあるアソーレス島の民族舞踊、レキオス芸能同好会、ブラジル人の空手家、フラビオ師範による演舞、平田ジョー、サンバショー、盆踊りなどがさらに会場のボルテージを上げた。
 フィナーレでは、全参加団体と来場者がカチャーシーで競演、午後十時に花火が上がり大団円を迎えた。
 新崎支部長は、「市長にも来てもらい大成功だった。来年はもっと準備をして良いイベントにしたい」と安堵の笑顔を見せながら、来年の抱負を述べた。